あの日

私は

眠っていました。


これからの

十年

これからの


2年、

3年に

少し怯え


まだ

お兄ちゃんの

影に隠れ


お姉さんに

守られ

甘えたように


眠っていました。


震災は

突然やって来たように

訪れました。


しかし、

それからの

十年、まもなく


我が家では

十三年という

重みを


お話します。


震災に

ついてでは

ありません。


私はお家に居て

学校帰りに

僕は


顔面蒼白で

帰宅しました。

そんな


帰宅の仕方、

縁起でもありません。

一度は


帰宅したものの、

震えが

止まらないのでしょうか。


抱きしめて

眠るの

繰り返しです。


二人兄弟の

お姉ちゃんは

少し怒り混じりに


せっかく

新学期に

向かっていたのに。と


益々

遊ぶ暇もなく

机に向かわなくては


ならなくなりました。


私は益々ご飯支度で

頭を悩ませる

事となり


働くのを一旦保留にし、

家事と育児に

専念する形を取りました。


それからの苦しい

葛藤の日々は

私達の幸せは


誰かと

比べられる訳では無く

少なからず


沢山の人の

有難みだけとは

言いようも無い


自立に向かった

試練が

やって参りました。


3人で一緒に居たい。

居られない

離れたくない


離れなくては

ならない。の

繰り返しです。


元来お部屋で

1人で過ごすのが

好きな私は


身体がどうやっても

調子が上がらず

諦める毎日と


得なくてはならない

子どもの成長期に

すれ違いを


ストレスに

変わって

しまっていました。


そのストレスを

家庭にぶつけては

ならない。


子供にあたっては

ならない。

これから出会う


誰かの分の

幸せを

模索していました。


会えなくなった

兄。段々と

疎遠になる弟。


時々しか連絡の

取れなくなっていく

祖父母


絶えず近くに

居るのに

満たされない父と母、


これだけ

聞くと

凄くネガティブですが


現実です。


当たり前に

訪れるのだから

こうゆうものだ。


と子供にも

教えなくては

ならない目の当たりに


胸が痛みました。


もっとポジティブに

伝える為に

私なりに


一生懸命

得られるように

考えて考えて


目に見えない

努力にしては

ならない。


未来はあっという間に

私達を

過ぎていく。と


恐怖心とも

戦わなくては

なりませんでした。


そして受験の為に

元に過ごしていた

実家近くにお引越し。


慣れたら

また

引っ越しの繰り返し。


もっと一緒に

居たい。

しかし、


毎日一緒に居るのに

変ですよね。

淋しいが止まらない。


端から見ても

反抗期すら

感じられない。


常に一緒に

居るように

見られていく


軽視化にも

嫌悪感で

いっぱいになっていました。


実は

会えないかも

知れない程だったからです。


それからの十年

会わなくなる

乳母、親戚、


1年に1〜2度しか

会えなくなる

娘、


数年に1度だけ会える倅、

十年会えなくなる

祖父母


一緒に居られる

食事の時間も

過ぎる3ヶ月も


物凄いスピードで

過ぎて行きます。

振り返る時間もありません。


忙しいのレベルではありません。


もい中身がどうとか

学歴がどうとか

言っていられなくなり 


とにかく

体が元気で

過ごさなくては


ならないのですから

こんなに

頑張って


何するのか。と

注目を

集める形になりました。


しかし

自分達の

生活を支える


自己管理には

なくてはならない、

必要不可欠である事に


疑い等は

無いのですから

これ以上


削れない。

何度も負担や

辛いと感じたら


これからの予定に

関しても

一変したのは


確かに

間違いない

日、それが


3.11でした。


私は

沢山時間があるのにも

関わらず


無駄を省き

時間を敢えて圧縮し

使う事により


負荷やストレスに

負けない身体を

手にしなくては


なりませんでした。


何度月を見ても

太陽を見れない

太陽を見ても


すぐに

眠らなくては

ならない。


十四年のうち

9年、

今まで


言って聞かされて

ベッドに入っていた

自分が


1人でベッドに入り

目を覚ますまで

平和な世界のままで


あって欲しい。と

祈りながら

眠る。そんな毎日でした。


毎日沢山

努力が積み重なっていく。

私は小さな世界の中で


一生懸命

生きる方を

与えられる。


価値など

比べられようもありません。

願っても


ワガママに

聞こえてしまうならば

与えないほうが


良い判断でしょう。


9年。


自立をし、

街を離れて

更に7年。


7年1人で

暮らせています。

後もう少しで


与えられた時間に

相応しい

結果を提示出来る


飛躍と変化と

移り変わりや

変わらずに


やり続ける、

やり遂げる

素晴らしさを


大事にしていく力も

前よりもっと

身近に思える様になりました。


家族の帰りを

待ち侘びて

7年。












彼女を待って

十三年。

ようやく、


先生を安心させられる

安心材料が

出来て


十四年。














壊れない様に

大切に扱われて

大事にし


あっという間に五十年。


目が見える様に

祈って

二十年。