この間簡単に資格が
受講出来たり
ライセンスを取れたりという

情報がありました。
前々からあったのでしょうが
今までは学生が中心であったものが

主婦やご高齢の方も
もう一度自分の教養や
記憶障害等の防止の為に

沢山努力されている事を
私は知りました。

ただ一番に自分もと
並ぶことが出来ない理由は
それを受験や就職に役立てるという

当たり前の活用方法がそこに
あるのでしょうが
その他に何があるのであるかということなんですが

学校に通っている時間の中では
完璧に自分で全て覚えるという事は
不可能に近い事です。

出来るのであれば
本当に本当に素晴らしい事なのに
それがあまり認められないという社会では

とっても悲しいです。

辞書を開く事は誰でもできます。
しかし辞書が無くては
開き方を知っていても調べる事さえも出来ません。

自分自身の隙間の為の資格であれば
生活に困る事も
時間に追われる日々も多少は減るでしょう。

誰かと競う事。
それも確かに切磋琢磨出来る事。
しかし邪心や慢心あってそれが実現できるのか。

綺麗な筆を隅に濡らし
真っ白な半紙にその文字を
綺麗に筆を下したので採点して下さい等と

誰が言えるでしょう。

満点取れたらとっても嬉しいでしょうし、
それに自分の何よりの糧になると
心からの実感も得られるでしょう。





















勉強とは自分がそれを
覚えるという姿勢を
強く持ちながら続ける事である。

誰かに教えられるのは
講義であり、教習なのである。

勉学というものは自分で
覚えなくてはならないという
決められた時間の中で

学び努め尚且つ結果を得るという
過程である。





















私はそれを美学という。