1、共謀共同正犯処罰根拠について、以下の(a)(b)が挙げられる。
(a)相互利用補充関係を根拠とする説
(b)結果に対する因果的寄与の大きさを根拠とする説
・以下では、この(a)(b)の相違について考えてみたことを記しておく。両説の差異はそもそも狭義の共犯の処罰根拠の発想が違うところから生じるのではないか?というのが結論である。

2、(a)相互利用補充関係を根拠とする説
(1)刑法の処罰対象者
・刑法によって処罰の対象となる者は、原則として正犯=実行行為者である。実行行為を行っていない者(狭義の共犯)は、処罰されないのが原則である。

(2)狭義の共犯が処罰される根拠
・狭義の共犯が処罰される理由は、共犯者が正犯者に何らかの影響を及ぼしたからである。ここでいう「何らかの影響」とは何かについては、責任共犯論や違法共犯論等の対立がある。
・非実行行為者は処罰されないのが原則であるが、「実行行為者に何らかの影響」を与えたことを理由として、例外的に共犯として処罰しよう、というのがここでの発想である。

(3)共謀共同正犯が認められる理由について
・上記の説からは、非実行担当者は狭義の共犯として処罰されることはあっても、共同「正犯」として処罰されることは無いはずである。繰り返しになるが、非実行担当者は原則処罰されないが、何らかの影響を与えたのであれば例外的に「共犯」として処罰しようというのがここでの考え方だからである。
・そこで、共謀共同正犯を認めるには上記の説を修正する必要がある。具体的には、実行行為者Xと非実行行為者Yとの間に相互利用補充関係があれば、「両者を一体として」評価しようということになる。つまり、XとYは2人3脚で犯罪を実現したのだから、Xの行ったことはYの行ったことと同視出来るのであり、YもXの責任を負いなさい、ということになる。

3、(b))結果に対する因果的寄与の大きさを根拠とする説
(1)刑法の処罰対象者
・刑法によって処罰の対象となる者は、結果に対して因果性を有する者である。実行行為者は行為と結果との間に因果関係が認められる以上は(強い因果性が肯定されるため)処罰対象となるのは当然だが、非実行行為者であってもその行為と結果との間に「因果性」があれば処罰対象となる。

(2)狭義の共犯が処罰される根拠
・上記の通り、非実行行為者であっても、結果に対して「因果性」が認められれば(狭義の共犯者として)処罰される。もっとも、狭義の共犯は第2次的な責任類型であるから、第1次的な責任類型である正犯者がある理由に基づいて処罰されないのであれば、狭義の共犯者も処罰されないことになりうる。ここでの「ある理由」が何かについては、違法性阻却とするか責任阻却まで認めるかの対立がある。
・非実行行為者であっても(共犯者として)処罰対象となるが、狭義の共犯者は第2次的責任類型に位置する者であるから、一定の場合には処罰しないことにしよう、というのがここでの発想である。(a)説も(b)説も正犯者に違法性が備わっていなければ共犯者は処罰されないという結論になり得るが、その理由が大きく異なる(a説は違法性具備が積極的要件となるのに対し、b説では消極的要件となる)。

(3)共謀共同正犯が認められる理由について
・上記の説からは、共謀共同正犯も「説を修正することなく」認めることが出来る。何故なら正犯と狭義の共犯との区別は、(1)結果に対する寄与(因果性)の大きさと(2)正犯意思の有無、に求められるからである。つまり、非実行担当者Yが正犯意思をもって実行行為者Xと同程度の因果的寄与を果たしていれば、YとXは共に共同正犯として処罰されてしかるべきだ、ということになる。(もっとも、責任主義(?)の観点から、XとYとの間に意思の連絡があることが前提である)

4、まとめ
・以上を前提とすると、相互利用補充関係を根拠とする説はXとYとの一体性の有無を論じて共同正犯の成否を論じるのに対し、因果性を根拠とする説はXとYとが果たした役割の程度に着目して共同正犯の成否を論じることになると考えられるが、その差異が生じる根拠は、非実行担当者が実行担当者を介してのみ例外的に処罰される(a説)という発想と、非実行担当者であってももともと処罰される独立の理由がある(b説)という発想にあると考えられる。

5、最後に
*偉そうに長々と書きましたが、文献を何も見ずに書いた司法試験不合格者(しかも刑事系が悲惨な点数)の妄言ですので、どこまで当たっているか分かりません。今日刑法事例演習を解くに当たって以上のことを考えたので、忘れないように考えをまとめておくことにしました。
時間があれば僕の考えが合っているか、調べてみたいと思います。