この日は何時も協力していただいている東所沢の協力会社へ。

午後からなので何処かでお昼を食べてですね、これ結構楽しみにしてたりします。

おかげで周辺のラーメン事情を沢山検証できています。

でもこの日はラーメンじゃなかった、蕎麦好きでもありますからこちらへもちょくちょく寄るんですね、埼玉富士見の砂場さんだ。

 

 

砂場の起源は1583年、豊臣秀吉が大阪城を築城する、その時建設資材置き場で主に砂利や砂の置き場の近くに麺料理店が開業します。

津国屋と和泉屋といってこれが現存する資料の中では最古の麵屋という事です。

それは何時しか砂場の蕎麦屋として現在に続くのですが、果たしてどちらが残っているかは不明だそうです。

1849年発刊の二千年袖鑒(そでかがみ)という書物に書き記されていて絵も残っているそうです。

なので砂場は大阪をルーツとする蕎麦屋で、江戸の蕎麦屋が台頭してくるのは江戸時代になってからですね(神田藪に付いては後述します)。

 

店に入るといらっしゃいませー、と随分と若い声が。

なんと近くの中学校の課外体験授業で3人の女子が配膳をしていますよー。

いいですねー、可愛いですねー。

爺になるとこんな年頃の子たちが一生懸命仕事してるの見るとなんかジンとしてきちゃいますガンバレってね。

 

メニューには待ってましたのこちらが登場してます。

 

 

みょうがそばです、夏限定メニューで実はこちらを狙っての来店ですよ。

昨年より130円値上がっています、内容は同じ様なので昨今致し方無しですかね。

 

 

天ぷら付きです、300円で付きますから頼まない手はないですよね。

こちらは地元野菜を使ってます、この辺りはまだ農家が多いんですよ。

 

 

茗荷の千切りがタップリ乗ってます、その下は大根で更に下がキュウリです。

切り胡麻もたっぷり降りかかってて香ばしい香りですよー。

蕎麦もしっかり入ってる、ここは私的に大盛にしなくてもよい量があるんですね。

 

 

そのそばは二八の手打ちです。

角の立った打ちで腰も強く細切りの見本のようです、手繰る手が止まりません。

 

 

野菜類と一緒に食べるのもこれまた楽しい、茗荷はちょっと晒しているようで主張は強すぎない。

この辺りが調理人のセンスなんですよね、

 

 

天婦羅は茄子、南瓜、人参です。

カラッと揚げられていて衣はサクりと野菜はふんわりでとっても美味しい。

抹茶塩で頂きます、勿論丼に乗せて蕎麦と一緒に楽しんでもいいでしょう。

胡麻油は使われておらずこの辺りも大阪発祥の所以かな。

 

最後蕎麦湯を頂いて。

 

 

こちらは最後まで楽しめるようにスプーンが付いてきます。

 

 

敢えて蕎麦粉で作ったのではなく普通に茹で釜からすくった蕎麦湯。

何の衒いもないものですがこれも又いいですよね。

美味しく食べ終わりましたよー、もう大満足でしたぁ。

 

こちらは400年続く砂場の末裔が結成する砂場会の一員との事です。

砂場発祥の地とされる大阪市の新南町公園に400周年を記念して砂場会が発祥の地の石碑を立てています。

 

 

東京で砂場といえば神田室町の室町砂場が有名ですが(天ざる、天もり発祥の店)。

こちら埼玉の片隅にも美味しい砂場が有りました。

これからもお世話になります、ごちそうさまでした。

 

 

追記

神田藪に付いてです。

江戸末期現在の文京区千駄木にある団子坂(森鴎外亭の近く)に蔦谷という蕎麦屋が有った。

まるで豪邸のような造りの蕎麦屋で一躍有名になり、周りが竹やぶで覆われている所からいつしか藪そばと呼ばれていたという。

その支店が神田連雀町に有ったと。

その後蔦屋は明治になり相場(今の株式)に手を出して失敗し店は売りに出されることに。

浅草で砂場系の蕎麦屋をやっていた堀田七兵衛がこれを買い取りて始めたのが神田藪そばの始まりだという、明治13年の事です。

初代の建物は関東大震災に焼失も同年12月には早くも再建、戦災時にも奇跡的に焼け残り戦後も老舗名店として繁栄するも2013年に厨房よりの出火にて90年続いた建物は消失してしまいました。

ですが早くも翌2014年に再建し、現在も名店として営業を続けています。

こう書いてたらやっぱりね、食べたくなりますよね。

あの新そばを模した緑色をした蕎麦(蕎麦の若芽を練り込んでいたのだが先代からクロレラを使ってます)、久しぶりに行ってみますかねぇ。