流山市にラーメンを食べに行った時の帰りに流山市立博物館へ寄ってみた。

因みに食べたのはかっちゃんラーメンのもつラーメンですよー。

 

色々な展示があり、流山の歴史から風物、産業等の決まり物から昭和の団地内を再現した展示室など市立とは思えない位の展示が有る。

その中にこれが有ったんですね、給食の変換だ。

 

日本の学校給食の始まりは山形だという、以下農林水産省のHPより引用です。

1889(明治22)年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺というお寺の中に建てられた私立忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の子どもに無償で昼食を用意したことが、日本における学校給食の起源とされています。その昼食は、大督寺の僧侶が一軒一軒家を回り、その家々でお経を唱えることでいただいたお米やお金で用意したものでした。

 

この当時出されていたものの再現です。

 

 

今なら朝食といった感じ、それでも当時としては貧富の差は相当あったであろうからかなり助けられた方も多いであろう。

 

戦後は混乱期であり給食は無くなっていたのですが、1954年に学校給食方が施行されると復活し現在に至っています。

 

此方には私の小学生の時の物からサンプルで展示されていました。

 

 

1967年の給食です、正に私のドンズバですねー。

脱脂粉乳は私世代が最後だろう、小2の時まででした。

好き嫌いがかなりありましたが私は好きで、必ず残りましたからお代わりしていましたよ。

今でいうスキムミルクなのですが、今飲むと随分と美味しくなっている印象です。

おかずは定番ともいえる鯨の竜田揚げですが、この形は違うかなぁ。

クジラ肉は四角いというのが記憶に有ってこんなハンバーグみたいな形はしていなかったと思いますね。

先割れスプーンも同じものが無かったようでスイカスプーンになっちゃってます。

当然もっとチープなステンレスのプレスもので子供用に小さかったですね。

 

 

1978年の物です、もう私世代では無いですがまだこんな感じですね。

メンチカツは人気メニューだったろう、だが圧倒的な人気は今も昔もカレーかな。

生野菜が使われているのは調理関係が充実し、衛生的に問題ないからだろう。

牛乳は経験的に学校給食用はシャバかったと思う、乳脂肪分が低く市販の物よりも味が薄い感じがした。

もしかしたらお腹を壊さないような配慮が有ったのかもしれませんね、そういう方って一定数いらっしゃいますからね。

 

2005年になると内容もぐっと良くなってきます。

 

 

こんなのが出てきたら歓喜しちゃいますよねー、昭和とは雲泥の差です。

私たちの時も飯食は有ったのですがそれは試験的な物で、中学の時に数回あったかくらいの記憶しかない。

先割れスプーンは危険という事で姿を消した、献立もそれに合わせたものになっているようだ。

 

2022年になるともういっぱしの定食メニューです。

学校給食というよりも社員食堂といった感じ。

 

 

栄養価も高く体格が発達した令和の子供たちにも十分なカロリーを提供している。

これが間位置に提供されてたなんて恵まれているなー。

 

変換を見るとどんどんと充実していますよね、それがですね。

昨今は主にコストを理由に自前の給食室を稼働させず給食センターなどへ外注している自治体も多いようです。

それら提供される給食はこれまた一人当たりの価格が決まっている訳で、まるで昭和の昔に戻ったかのような内容の物も散見されますね。

給食は子供たちの発育に多大な影響がある、食育という教育機能も有る訳で。

単にコストというだけで低下して行ってはいけないですよね、我々大人もしっかりと見守っていかなければと。

子供は国の宝という言葉、年を取るとその言葉の重さが判ってきます。

選挙受けのバラマキをするならば、もっと別に使うべき予算が有ると思いますよね。