という事でフジモーターミュージアム蘇える日本グランプリ企画、展示車は今回でラストです。

 

1968年の日本グランプリには日産が掟破りのシボレー5.5リッターV8エンジンを搭載したR381が高橋選手、北野選手のドライブで予選ワンツーと。

それを追うのはプライベーターながら資金力のある滝慎太郎氏率いるタキレーシングのローラT70群で、長谷見選手のT70MKⅢには6.3リッター、田中健次郎選手の同T70MKⅢには5.8リッター、酒井選手のT70MKⅡには5.5リッターのシボレーV8を搭載してその後に並んだ。

更に手持ちのポルシェ906に片平選手を、910に生沢選手を起用しワークスよりも盤石な体制でレースに臨んだ訳だ。

レースの結果は上位勢のトラブルにより優勝こそ北野選手のニッサンR381となった物の、2位には生沢選手のポルシェ910が入り、氏の確かなドライピンクテクニックと共にポルシェの耐久性が確証されたレースでした。

更にニッサンは熟成したプリンス時代からの2リッターR380で5~7位を独占し、3リッターのトヨタセブンは8.9.14位と惨敗を期した訳ですね。

確かに車内コード415Sの3リッタートヨタセブンは正に60年代中期の旧態依然としたボディデザインで、見た目からも速さを感じるものでは無かったですね。

因みに片平氏の906も7位に入っていて流石ポルシェと印象付けるレースとなりました。

展示車両は勿論生沢徹氏の乗ったポルシェ910です。

 

 

もうお馴染みの車両ですから説明するまでもないか、伝統となった水平対向6気筒の2リッターエンジンで遥かに排気量の大きなマシンが次々とトラブルで脱落すなかそれらを押しのけての総合2位ですから大したものですよね。

 

 

タキレーシングの証のV字ラインに生沢氏乗車の証である丹頂鶴のステッカーが貼られてる。

氏は上位大排気量勢がレースの走行距離からサバイバルレースになるのを予期していたのでしょうか、正にしてやったりといった所でしょうかね。

 

 

コクピットは純レーシングカーというよりロードゴーイングカーといった感じ。

ホモロゲーション取得用に有る程度量産された車でもあった訳ですからこなれている感じですね。

 

 

こうして並んでいるのをみるととっても感慨深いと。

一番奥に展示されているのがローラT70MkⅢです。

 

 

 

68年に長谷見氏の乗ったマシンだ。

予選では高橋、北野のR381につづく3位を得るのだが、本線では22週目にトラブルによりリタイヤと早々にレースを終えている。

 

 

真正面から見るとファニーフェイス、タキレーシングの証Vラインが凛々しい。

 

 

大きなシボレーV8エンジンをミッドに積むので意外とロングテール。

ここでサイドウインドにこんな細工が有ることが。

 

 

ウインド後端がヒンジで少し開くようになっている。

勿論換気用で有るのですがこんな工夫も実車を前にしての発見ですね。

 

 

ノックオンのホイールがタイヤ交換を前提としてる耐久レース仕様ですが。

やはりシボレーV8は一筋縄ではいかぬようで特に油圧関係と冷却の問題が多発していたという。

日産もR381に積むにあたり潤滑系をウエットサンプからドライサンプへ作り替えたくらいだ。

こんな改造はプライベーターではとても無理、しかも優勝したR381もドライブシャフトにクラックが有りあと何週持ったかという薄水の優勝だったという。

もしリタイヤしたら68年は前年に引き続き生沢氏の優勝になった訳で、氏のテクニックとポルシェの精巧さ耐久性が更に際立ったのではないでしょうかね。

 

この後69年以降各メーカーがこぞってレースから撤退するのに対し滝レーシングオガニゼーションとして国内レースには関わっていく。

酒井正氏を軸としてマクラーレンM12にて初期グラチャンに参加し、その後のGCシリーズを牽引する高原憲武氏を推する等70年代前期のレース界には多大な影響を与えました。

日本の自動車レースを語るうえではかなり重要なファクターであった滝レーシング、メーカーだけでなく記憶に留めておくべきチームだと思います。