という事で今回は1969日本グランプリ総合優勝車の黒澤元治/砂子義一組のR382だ。

このマシンの開発に付いては記述を取りまとめると。

 

 

前年1968年の日本グランプリに登場し、総合優勝したR381は3リッターで出場したトヨタを欺くようにR380用のGR-8直6エンジンを2つ組み合わせたようなV12とし5リッター化したGRX-1を開発するのだが間に合わず。

急遽CAN-AMパワーユニットである米シボレー製の5.5リッターV8エンジンを搭載してきた。

結果トヨタとは2.5リッターもの排気量差で優勝するのだが。

やはり社内でも全て自社製をという事はシボレー製で優勝したという社会風刺も込めて必須事項で。

同年12月にGRX-1エンジンは完成。

それを早速R381Ⅱに積み込み69年5月の富士スピードカップに登場し優勝します。

という事でライバルトヨタ他チームはこのエンジンでこの年の日本グランプリに出場すると思っていた訳だ。

 

 

この年10月に開催となった日本グランプリに対し日産は新しいマシンを7月に公開、これがR382でエンジンは勿論5リッターのGRX-1でした。

マシンはトヨタより先にウイングが規制されたことを考慮しよりダウンフォースが得られるウエッジを利かせたものになった。

だがトヨタもこのレギュレーションに対応したリヤボディ形状を開発し下馬評では両者互角か。

それより旧プリンスGR8を祖としたニッサンGRX-1よりもトヨタがコスワースDFVを参考にした79Eの方が性能は上だとか、V8の79EよりもV12のGRX-1のがパワーが出てるとか、根拠のない下馬評は色々とあったのだが。

 

 

何とレース予選の前日に排気量を6リッターに広大したGRX-3をR382に搭載するとニッサンは発表。

当然のように排気量差から予選ではR382が1-2-3位を独占してしまいます。

 

レースでは高橋/都平組が熱トラブルで後退する物の黒沢/砂子組が1位、北野/横山組が2位とワンツーフィニッシュをしてニッサンの快勝となりました。

 

 

やはりスパルタンなコクピットはとてもきれいにレストアされている、ストレートロッド駆動のシフトはZFのミッションに直結してる。

 

 

やはりオイルクーラーが幅を利かせたリヤ周りだ、その両サイドに控えめに有るブレーキランプも時代ですねー。

 

 

こうして並ぶと何とも感慨深い。

当時のトヨタファンからは日産は卑怯だとの罵声が、日産ファンからはこれは戦略と賛否は多々ありましたねー。

当時の私も日産は卑怯だと思いましたし、レースを見ていて何とも腑に落ちなかったのは前年シボレーを積んできた日産に対する思いも有りましたからね。

でも今見て両者とも当時のレーシングカーとしては一流の物だと思う。

R382はCAN-AMシリーズへの参戦を模索して1台がアメリカへ送られていたという。

これがマクラーレンやローラやチャパラルやシャドー等と レースしていたらどうなっていただろう。

トヨタもターボ7で出場する気満々だったというし。

 

 

前回記したように社会的に注目されてしまった不慮の事故やオイルショックや環境問題による排ガス規制が無かったら当時の日本のレースシーンはかなり変わった物になっていたのではと思います。

ホンダが第2期のF1で活躍する前に、マツダがルマンを制する前にCAN-AMを席巻するトヨタとニツサンが有ったはずです。

あくまで想像の域なのですが、もしそうなっていたらと思うと残念ではありますね。

 

次回は第3の勢力、タキレーシングの車両をお送りしようと思います。