私の乗るホンダビンテージは1962年生のCⅡ72と1963年のCB72である、、。
半世紀以上昔のバイクであるのに現在でも実用で9000回転も回る精密なエンジンと、。これから始まるであろう日本車の世界席巻を十分に予見させるものであった、、。
事実その頃のホンダは世界グランプリで次々とタイトルを得て、市販車でも欧州欧米で人気を博し始めている、。

では4輪車はどうだったのだろうか、。
その頃の国産車を夏に行ったトヨタミュージアムでの画像と共に追ってみる事に、、。


戦後はそれまでの生産施設などが壊滅状態で、まずは欧米メーカーよりの模範、ライセンス生産から始まった、。
勿論戦前よりAA型という立派な車両を作ったトヨタや、中島飛行機の流れをくむプリンス(後に日産に合併)や富士重工(現スバル)といった独自路線で復活を目指すメーカーも有ったのだが、、。
やはりライセンス料を払ってでもパクるのが手っ取り早い訳ですね、、。

一番の成功は日産のオースチンA50ケンブリッジじゃないでしょうか、、。

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濃紺にアイボリーは当時流行った配色で今見ても素敵ですねー、、。
1955年から60年まで生産されていて、私の子供の頃でも元気に走っているのをよく見ました、。
この車両に積まれていたOHVエンジンがこの後の日産中型車の主軸A型エンジンとして重要な役割を果たします、。



いすずヒルマン・ミンクス、この車両も良く見ましたたねー、、、。

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オースチン・ケンブリッジと同じ配色です、これも子供の頃よく見たなー、、、。
初期型PH100は1956年の生産開始ですが、64年まで作られていたので記憶によく有ります、。
ライトグリーンが印象に残っていて、近所の歯医者さんが乗っていました、。それ位高級車だったんですねー、。
この技術は後にベレル、ベレットへと受け継がれていきます、、。
GH150型と言われる1.5リッターのエンジンはこれからのいすゞ自家用車の祖になって行くんですねー、、。

他にも日野ルノーがリヤエンジンのノウハウを得てコンテッサの開発に至るなど、。
50年代は先ずは物まねから始まった我が国自動車工業ですが、、。


トヨタは戦前からのノウハウで(1936年発表のAA型はすでに世界レベルに達していたと思う)すべて自家製で歴史に残る車両を生産しています、。説明入らないですね、、。
クラウンRSです、、。

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私の子供の頃の都内のタクシーと言えばこれだ、。
地方では211ブルーバードとかT20コロナなどの小型車が主流でしたが、流石に東京は違うなぁと子供ながらに思ったものですよー、、。
観音開きのドアは指を挟んでしまうトラブルが多かったとか、でもそれがクレームにはならない、。
自己を責めて他人を攻めぬ当時の日本人のつつましさがそうさせたと思います、、。




満を持して日産もいよいよオールジャパン設計の車両を登場させます、、。
セドリックである、、。

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30セドリック1960年に登場した国産最上級車である、。初めは1500ccの4気筒、後に1900ccになっていわいる当時のフルサイズとなった、、。
輸出を考慮してか6気筒の2800ccも作られて、このエンジンは後にプレジデントへと発展します、、。
当初はライトがこの縦目で、後に横四灯になるのですが、。この縦目はやはり印象的ですよねー、、。
私が懇意にしている東松山のビンテージギターショップのオーナーがこのステーションワゴンに乗っているんですよ、。羨ましいですねー、、、。
ただエンジンはまだオースチンの影響を残し、この後プリンスが合併されるまではこの状況は続きます、。


小型車はどうでしょうか、。
これらの車はまだまだ庶民に手の出るものでは無かった、、。
それを少しでも近づけたのがいわいる国民車構想です、、。

そんな中いち早く注目を集めたのは、、、。
トヨタ パブリカだ、、。


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UP10通称パブリカ700、1961発売、。
当初から生産性を考慮したモノコックボディと、エンジンはシトロエン2CVに範を取った空冷2気筒で企画設計された、。
だが同瀑360度クランクというかなり変態なエンジン構成は採用せずに、。
BMWのモーターサイクル用エンジンに範を取った水平対向レイアウトになった、なので振動バランスも良くて空冷にしては静かなエンジンで好評を博した、、。
私の叔父が乗っていて、ロ・ロ・ロ・ロ・っていう廻り方をするエンジン音は今も心に残っています、、。

このエンジンが800になってからS800に積まれるわけですが、この夏経験したヨタ8はレポにある様に十分スポーツなエンジンになっているのが驚きました、。キャブも圧縮比もカムフィールも別物というのが良く解りました、、。ヨタハチ記事→https://blogs.yahoo.co.jp/redtyler/38578769.html

800になった時にTVCMで1000ドルカー、パブリカってコピーが記憶に残っています、。
当時は1ドル360円という今では驚くほど見すぼられたレートでしたからねー、、。
つまりパブリカ800は36万で買えるという事です、でも大学出の初任給が2~3万の時代ですからね、、。

当然他車もこの国民車構想元づいた車両を作るわけですが、、。
ゼロ戦で名を覇した三菱もこんな車を作っています、、。

ミツビシ500、。

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A11型という、空冷2気筒493cc で21馬力、、。
あまり見なかったので売れてはいないかなぁ、三菱も初代コルトが出るまでは我慢の時期でしょうか、。
最高速は90キロとの事だがどう考えでもそこまでは出ないだろう、。
このころはバイクも含めて設計値だったように思う、。
それこそ本当にカタログ値が出るのはホンダのバイクくらいだろう、。欧米ではそれが出ないと途端に嘘と各紙で批判されちゃいますからね、、。



もう少し年代を近づけて、それこそ日本のモータリゼイション発展の原動力になった中型車を見て行きましょう、。

何といってもBC戦争だ、、、。
トヨタ コロナ T40、、。

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1964年に登場したT40は瞬く間にベストセラーとなった、、。
当初1200ccだったエンジンはすぐに1350ccとなり、最終的には1600ccとなった、。
韓国でもノックダウン生産(部品を輸入して国内で組み立てる生産)されていて、昨年ソウルの博物館へ行って知りました、。
1968年に同じトヨタのカローラに抜かれるまでは生産台数日本一を誇ったくらい売れたんですねー、。

実は当家の初めての自家用車がこの後に出る1500ccの2Rと呼ばれるエンジンの最終型だったんですね、。
出来たばかりの東名高速でおふくろの実家の沼津へ行ったものでした、、。



対する日産は410ブルーバードだ、、。

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ピニンファリーナがデザインした流麗な車両ですが、これがあまり日本人には受けなかったようでした、。
ホンダの神社仏閣デザインじゃないけれど、比べてもコロナの方が重圧な感じだし、。
後に出たT50系コロナのハードトップも1600GT等カッコよかったですからねー、、。
だが地方のタクシーなどでは好評を博し生産は順調だったようですが、、。
コロナには敵わず、この後あの傑作510ブルーバードを生み出すわけですねー、、。



更に小排気量なまさしく庶民に何とか手が届く車両へ行きましょう、、。
1000ccクラスです、、。

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ファミリアはマツダの意欲作、これはPSAという型式の車両でしょう、。
オート3輪やキャロル等軽で実績を作った東洋工業が満を持して発表した自家用車です、、。
デザインはなんとベルトーネ、数々のスーパーカーを発表する大御所である、、。
やはり今見ても美しい、、。後ろのサニー、カローラといったライバルが霞んで見えますよ、、。
ただこのファミリアは当初800ccという排気量で発売された、。後に直ぐ1000ccになるのだが時遅しという感じでしょうか、、。


そして日産サニー、、。
B10型と呼ばれる初代サニーは1966という当時としてはかなりスッキリとしたデザインで登場した、。
それこそ60年代後半から始まり70年代に開化したイタリアン折り紙細工などと呼ばれた、イタルデザインのジウジアーロ等が提唱したデザインの先取りのようだった、、。
エンジンも新型の(とはいう物のやはりオースチン系)A型エンジンで初めから1000ccという設定、、。
このエンジンは何と排ガス規制が厳しくなる80年代まで基本を変えずに生産された傑作エンジンだ、、。
我々世代だとB110のレースでの活躍、最終の東名チューンなど1300ccで175馬力に達していたという、。
話を戻してB10へ、、。やはり売れたんですねー、名神高速の開通などで一気に国内事情は変わった、。
高度経済成長で、まだ一般サラリーマンには高根の花だが、。販売業や町工場など自営業が賑わって、都内では渋滞なんて言葉が出てき始めた頃でした、、。


そして、B10サニーが発売されて後7か月後の1966年11月に、これまた満を持してトヨタからカローラが発売されました、、。
KE10と呼ばれる初期型カローラは、まるで後出しじゃんけんのように排気量を100cc上げた1100ccで登場して来た、、。
これは当然キャッチフレーズにもなって、。
プラス100ccの余裕、隣の車が小さく見えまーすなんてコピーが流されたのを覚えています、。
当然これまた売れるわけですよね、直ぐにサニーからトップの座を奪うと、。この後のCS戦争の火ぶたが切られるわけですよー、、。

カローラが先に1969年に3Kエンジン1200ccにして突き放すと、。翌1970年にはサニーもB110となりA12エンジン1200ccで追いつき、。
お互いÈ20、B210となり1400ccになる訳で(1600のレビン・トレノは別として)、、、。
更にマツダファミリア、いすゞジェミニ、ホンダシビックといったライバルを迎え一気に世界を席巻するまでになったわけですねー、、。


いやぁ、ここまで書いて疲れましたぁ、、、。
次回機会が合ったらこんどはスポーツカー行きましょうかねー、、。