夏に行ったトヨタ博物館、かなり久しぶりであった、色々と思い立ったので再度取り上げてみた、。
それはね、メインとなるのはやはりこの車両とおもうから、、。
最初期のクラウン、RS型である、、。

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私の幼少期の東京のタクシーの主流はこれだった、地方だとコロナとかブルーバードとかも少し小型なのだが山手線を中心とした都心部は殆どがこの車両だ、正に高度経済成長の始まりであった、、。
当時の5ナンバー最大のサイズは、今見るととてもこじんまりとしている、、。
でもその風格は当時の国産最上級車の風格が漂う、国際的に通用する車両はここから始まったといってよいと思う、、。

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流石にメーカーによりフルレストアされた車両は当時の新品状態だ、、。
深い黒のエナメル系の焼き付け塗装が何とも言えない雰囲気を醸し出します、、。
RSの特徴と言えば、この観音開きのドアである、、。

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説明員は若い女性で、、。
これ良く指を挟んだんですよーーー、と言うと、、怪訝な顔で何でですかと、、。
それは後席の乗員が下りる時にこのBピラー(ドアの真ん中の支柱)をつかんで降りることが多く、、。
前席の乗員がドアを開いて降りた時に後席の方がここをつかんで降りているときにドアを閉めると後席の方が指を挟むと、、、。
現在の車と違って柔らかなゴムのシーリング材なんて無いですから、最悪は骨折してしまう、、。
現在ならばクレームがついてもいた仕方ないが、当時の方々はこれ自分が悪いと、起訴などの事案は無かったという、、。
これは日本人ならではで、海外では問題になったこともあるようですね、、、。

ベンチシートで6人乗りと、この頃の車両に多かったが、。アメ車などなら解るが5ナンバーなので結構狭い、。
5ナンバーワンボックスに乗った方なら解ると思いますが、当時の日本人はまだ小さかったのでOKだったのでしょうね、。
そのためかサイドブレーキが右側にある、この後はダッシュボードのセンター下にステッキタイプと呼ばれるサイドブレーキが主流になるります、やはり使い勝手は良くなかったようですね、、。
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シンプルなダッシュボードもいい、、。
ホーンが中央だけでなく、ステアリングの下半分ならば手を放さずに操作する事が出来る、、。
今と違ってホーンを鳴らす機会が多かったんでしょうね、歩行者も運転手もまだ交通事情になれていない時代だ、、。

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フロントもリヤも当時としてはかなり技術的に難しい曲面ガラスを使っている、、。
でも大きなものはまだ難しいか、。コストを配慮してか、フロントは2分割、リヤは3分割になっている、、。

そしてウインカーだ、、。
これあまり知っている方少ないんですが、アポロというウインカーが前後ドアの間に有るんですよ、、。

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よーく見てください、フロントとリヤのドアのウインドグラスの間にアポロが出ているでしょう、、、。
これがソレノイドでシュパッと出てくるんですよねーーーー、、。
トラックなんかの物とは違い流石にスタイリッシュになっています、、。
でも現在ならばこんなのが方向指示器とは思わない方も多いですから危険でも有りますね、、。


このクラウンRSのタクシーは、一時当時としては大変珍しい冷房車が有ったんですよ、、、。
昭和30年代でですよー、、、。
それは当時米国より戦後供与された戦車(M41)についていたものが古くなって、スクラップとなって巷に流れたと、。
それを改造して装着した車両が一時走っていたんですよね、、。
それはコンデンサー(ラジエーターのような物)が屋根の上に載っていて、一目で冷房車とわかる物でした、。
なので、あっあのタクシーが涼しくって良い、などと、、。親が選んで停めていた記憶が残っています、、。

最高級車とはいえまだプアなサスペンションとか、スプリング張りのブヨンとしたシートとかで、、。
路面電車も縦横に走る当時の東京の路面では、結構揺れて良く車酔したことも思い出します、、。

でもここから日本の世界進出が始まるわけで、。
一度は見ておいていただきたい車両だと思いますよー、、。