私は幼いころ結核を患った、1歳半の時高熱が続き何軒かの医者を巡って小児結核と判明、。
実は父が保菌者で、二人とも結核患者と言う結果に、、。
不治の病とされた結核、しかもこの年齢では生き延びられるものか、、。
だが本当に幸運な事に、当時カナマイシンと言う特効薬が完成、なのでこれを使っての療養で治りました、。
でその時に療養していたのが今回訪れた場所、療養所である病院跡地だ、、、。
何でそこに行こうかと思ったのかはグーグルアース、これで検索していたら何とまだ敷地が有るではないか、。
たしかこの病院はもう30年以上前に閉鎖されているはずですが、まだ有るんですねー、、。
私が療養していたのは昭和34年~37年、という事で同時期生産のCB72に乗って行く事にした、。
私この頃の記憶が結構残っていて、後に親に聞くと(もちろん父も一緒に療養していた)2歳くらいの記憶も残っているのです、、。
場所は東武野田線の南桜井と言う場所、春日部から柏方面へ2駅目、駅のすぐ近くにその病院は有った、。
駅に付くと当たり前ですが駅前から全然違っています、小さなロータリーが出来て周りは住宅だらけです、。
でもですね駅前から病院へ行く踏切への道は当時のままですねー、72で向かいます、、。
で、正面の入り口に付くと、、、ありますよー、、、。当時そのままの門扉が残ってましたぁぁぁぁ、、。

50年以上の時を越えて、当時の記憶がよみがえります、、、。
さすがに中には入れないようです、、。覗いて見ても建物はほぼ残ってはいないようですね、。
当時の建物は木製だったので当然の事でしょう、、。
一面畑だった周囲は当然住宅が密集し、現在ベットタウンとして周辺も開発されています、、。
そんな周囲を走っていると、、、。
なんだか見たことが有る様な橋、当時は砂利道でしたが記憶が有ります、、。
バイクを降りて見に行くとー、、おおー、、これこれ、用水路だ、、。

田んぼへの水張りで水量が多く濁っているのだが平時はそれ程の濁りは無いはず、。私ここで父や療養所の方達とよく釣りをしていたのですねー、、。手前の土手でミミズ掘ってね、鮒やハヤが釣れたのですが食べた記憶は無いですね(青大将は食べたの思い出しました)、。
今になって病院との位置関係が判りましたねー、、、。
道路に戻って道の反対側を見ると、、、。えー、まだ有るんだぁ、、、。

床屋さんです、でもですねここは昔は床屋さんじゃなかった、、、。
建物も新しいですがレイアウトはこのままです、、。ここは当時お菓子とか釣り具とかを売っていた店で、。
駐車場側が店になっててそこでせんべいとか浮きとかを買ったことが有る、、。
偶然お店の方が駐車場へ出て来たので聞いて見ました、。するとやはり祖父の代まではそのような商売をしていたとの事、、、やっぱり、、、、。
都内と違い郊外ではまだまだ昔の面影が残っているんだなー、、何て思って帰りました、、。
ここから数分の帰り道、昔ながらの田園地帯が有りました、まだまだ埼玉のこのあたりも稲作が盛んなんだなぁと走ってると、、、。何と遠くにスカイツリーが見えるじゃないですかぁ、、その距離関係にびっくりです、、、。

途中食べたラーメン屋にて(詳しくはラーメン事情にて)、、。
72は相変わらず調子いい、アフターバーンも3000以上では出ないですね、。
帰りは江戸川沿いをゆっくりと帰ってまいりました、この川沿いルートは信号が少なく快適です、、。
でも三郷あたりからは走っているよりも信号待ちの方が長いといういつものパターン、、。
走りながらも当時を色々と思いだして、、。私自身にとってかなり有意義なプチツーリングになりました、。
こういう時間も良いですよね、、、。