好きな飛行機を一機だけ選んで、、、と、言われたら、、。
 
私はソートー迷ってしまう、、。レシプロペラ機ならば迷わず中島キ84、、そう陸軍四式戦疾風だ。
大出力の誉エンジンをつつむ力強いエンジンナセルから絞り込まれて尾部へ続くボディ、、。
最小限のキャノピーとこれまた最小限の垂直尾翼、、、見ていてほれぼれするスタイルだ。
同じ誉を積む偵察機彩雲にも惹かれるのだが、、、やはり疾風である。 
 
性能も当時の国産機の中でも傑出しており、海軍の紫電改や試作に終わった烈風等よりも高速性能は高く、最近の研究では戦後アメリカが鹵獲した機体で記録された687キロと言う記録は試作機で出された日本側の624キロよりもオクタン価の高い燃料と高性能プラグにて出された性能とされてきたが、、量産型の誉はハ45-21型であり試作機のハ45特(11型相当)とは離昇推力で200馬力は違うものだから、、量産後の疾風は少なくとも中島の試算値660キロは出ていたのではないかと言う事になっている。
 ただこれらは高度5000メートル辺りでの話で、、1万メートルだと翼面荷重の高い疾風は薄い空気の中では舵が利かないのだと言う、、、この高度だと旧式な隼の方が凧みたいにひらひらと動けるのだそう、、もっと強力なエンジンで引っ張らないとと言う事なのだろう。実際B29はこんな高度でっ、、、、って、、、いけねぇ、、。
 
話がそれてしまいましたが、疾風については次の機会としてT-1に戻ります(爆)。
ジェットはF104スターファイターとかF9Fクーガーなんかも気になりますが、、、やはりT-1、、。
各務ヶ原での展示機には岐阜基地在住時に施された飛行開発実験団創設50周年記念塗装となっている。
 
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戦後占領軍により航空機の製造開発が制限されていた7年間の空白をへて、当時の日本の技術を集結して製作されたT-1は、正に日本的な優美な外観とともに当時の技術者等の気迫すら感じる機体だ、、。
 
当時86の生産でてんてこ舞いの三菱(新三菱)や33の生産契約をしたばかりの川崎を尻目に、、これまた中島の血筋の富士重工業案が採用されて開発は進むのだ、、。
テストパイロット、当時は正に飛ばしてみないと分からない部分が多く命がけの職業だ。T-1はほとんどを新妻さんと言う方がテストをした、、T-1の新妻とまで言われる方だ。
戦中から陸軍のパイロットで、離隊後はピッツで曲芸飛行を全国で行っていたほどの飛行機屋だ。
 
飛行記録はテレメーターで地上に転送されるのだが、コクピットの様子を映写フィルムで撮影していた、片隅にキャノピー越しの外が映っているのだが、、、あるときそこにはっきりと畑の畝が映っていたと、、。
高速でダイブの試験中一瞬でも引き起こしが遅れるといちぢるしく高度を落す事となる、まさに命がけの努力により非力なエンジンながらT-33よりも加速、上昇力に優れる機体が出来上がった。
上昇力など一部戦闘機のF-86Fを凌駕するほど高性能な機体に仕上がった。
 私はそのどこか女性的な外観だけでなく半世紀近く現役機として運用された、その堅牢性にも魅了される。
 
練習機であるがじつは機首右下面に12.7ミリ機銃を1門装備出来る用になっている。実際は蓋をされバランスウエイトをつんで実装はされなかったのだが、、、パイロンに爆装をするとか初期には攻撃機としての運用も検討されていたらしい、もちろん実際に研究される事はなかったのだが。
 
オール国産を目指した機体であったが、当初はエンジンが間に合わず英ブリストル・シドレー製のオルフュースという離昇1800kgfのエンジンを積んで1958年初飛行する、これがT-1Aだ。、私と同い年なのも気に入っている理由、、。
 
そして富士重で設計、試験のちに日本ジェットエンジン㈱(NJE)に移管されたJO-1を元にNJEと石川島播磨重工業によって初の実用国産ジェットエンジンJ-3が開発された。
こいつを積んだのがT-1Bである。
 
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ここ各務ヶ原に来るといつも見入ってしまう、、まさに技術の結晶、、職人技のなせるところだ、、戦中のネ-20も凄いが、、こいつにはもっと緻密さを感じてしまう。、、もちろん現在のエンジンとは比べ物にならないのだが、、。
 
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離昇1200kgfで製作されたが、圧縮機の翼列の変更などで流入空気量を14パーセント増加し1400kgfとなったJ-3-7Bが生産されると逐次ILAN時に換装されていった。
これにより非力さと燃費の良さで当初装着されなかった外部増槽がB型にも装着されるようになった。
 
このJ-3は実はT-1だけでなく海自の対潜哨戒機P-2Jの補助エンジンとしても採用されている。
 
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 主エンジンの外側にポッド式に装着されているのがJ-3だ。
実はこっちに乗った方が多くて全部で247機製作された、最終-7Dでは1550kgfまで推力を上げた。
 
再びT-1に戻る。
当初無塗装で運用されたT-1だが、海に近い芦屋基地での運用に辺り腐食対策として塗装がされた、だがこれにより重量が70キロ増加したと言うが、平滑性の向上や高速での外販の歪み等が補正されて巡航速度が数kt向上したという。
 
そのときの色は白だ。
これも新妻さんがアメリカでの教育課程でのったT-38タロンが白で、、それを凄く気に入っていたから白、白と言い続けて採用されたなんて話が有りますが。
 
私も後期、雫石での727と86の衝突事件以来、認識性を高める為に施されたと言うオレンジが入った塗装よりも、、無地の白い塗装が優美なT-1には新妻の白無垢のようで(うまいっ座布団1枚)一番似合っていると思います。