近藤貞雄氏が死去 中日をリーグ優勝へ導いた監督
中日などの監督を歴任し、中日をリーグ優勝に導いた野球評論家の近藤貞雄氏が2日午前9時22分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。80歳。愛知県出身。葬儀・告別式は10日午前10時から品川区西五反田、桐ケ谷斎場で。喪主は妻恵子(けいこ)さん。 愛知・岡崎中、法大から1943年(昭和18年)、西鉄(現西武)に投手として入団。巨人時代の46年に23勝を挙げたが、その年の暮れに事故で利き腕の右手中指の腱を切断する大けがを負った。しかし中日に移籍した48年にハンディを克服して復活し、54年に引退するまでの間に24勝をマーク。奇跡のカムバックは「人生選手」と題した映画になった。 現役引退後は中日、ロッテのコーチを経て81年に中日の監督に就任、82年にリーグ優勝に導いた。85年から2年間は大洋(現横浜)、89年から3年間は日本ハムの監督を務めた。99年に野球殿堂入りした。コーチ時代に投手の分業システムを確立するなどアイデアマンとしても知られていた。通算成績は55勝71敗で監督としては470勝を記録した。 【nikkansports.com より】 |
僕は近藤氏のことは全然知らないのですが、
1年に23勝を挙げたということは、凄い投手だったのでしょう。
ケガさえなければ、もっとスター選手になっていたのかも。
現役通算では55勝ですが、監督で470勝は凄いですよね。
謹んでご冥福をお祈りします。
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