お疲れ様です。

今日は45年ぶりの友人と呑みました。

彼は伝統工芸のお仕事をしております。


三味線を作ってます。びっくり


高校時代から様々な友人といろいろとお付き合いをしてましたね。ウインク


彼から教わったことは、真面目な私?にとって刺激的なことばかり。びっくり


車のことも、絵画のことも、喫茶店遊びもそうでした。

江古田でビリーヤードをやったのも彼の影響でした。

今は、三味線一筋?。おねがい


高校時代は、よく遊んだのですが、大学時代は疎遠となり、なんと45年ぶりに呑んだわけです。

先日、TVにもでてました。


facebookに現れていたので、連絡を取り合ったという経緯です。


高校時代、正直な話し私は友人と言えば、音楽関係か難破な連中しかいなくて(学校の友人は皆無、価値観の相違)


まあ、それは享楽的で楽しい青春時代でした😆


彼は、車が好きで

何も知らない私に知識を与えたのでした。

また、絵画についても

ゴーギャンがどうの、ピカソがどうのと

未知の世界を教えてくれたものでした。


タバコも教えたのも彼でした。ニヤリ


青春時代の楽しいひとときは

断片的ですが、思いだす度に恥ずかしさと喜びに浸してくれます。


あまり、過去を振り返ってどうのとは言わないんですが、

やはり、懐かしい。







池袋は、私たちの遊び場でし

た。

300Bというお店によくいきました。

百種類の酎ハイというのが、売りで、立教生の溜まり場になってました。

ナベサダが演奏をしてたこともありました。

今は無くなり寂しい限りです。

丸井もなくなり、東方会館もなくなり、辺りは何もかもが変わってしまいました。


芸術劇場ができて、前は公園で若いカップルが愛を囁いていました。


全てが変わってしまったえーん


芭蕉ではないですが

不易流行ニコニコ


街並みは変わってしまいましたが、変わらないのは人の心


お互いだいぶ年を重ねて白いものが多くなったけれど

酒が進むにつれ

杜甫と李白のように

45年の年月もすぐに氷解し

あの頃の

愚かな自分たちの行いや思想に笑いが自然に湧き起こるのでした。


隣の芝生は青く


あいつは社長になったよ

あいつもだよ。羨ましいと彼は言う

凄いネェ

と彼は言う


でも、どんなに役職や肩書きがあろうとも若い頃の性質は核として糖衣がまぶされているだけ、それを私は知っている。


このコロナの危機を乗り越えて従業員や会社を守らなければならなかった苦労は、あのヤンチャをしていた頃の勇気や仲間を大事にするといった核があったのだろう。



糖衣というより、それは真珠が星霜を重ね年輪を刻む方が確かかな?


友人は、父親が突然鬼籍に入り伝統工芸を継がなくてはならなくなった事情があったといいます。

会社を退職し、3代続くこの三味線作りを

その文化の伝承という使命を

受け継ぎ、一銭も売り上げがなかったコロナにも打ち勝ってきました。凄い!


若い頃、龍馬がゆく を読み互いに将来自分は世の中のどんな歯車になっていよう と語り合ったことを思い出します。


本当は、家業ではなく自分の道を拓いていきたかったのを知っています。それだけにfacebookで見つけても直ぐには連絡が取れませんでした。


でもそれは杞憂

彼は自分の仕事に対する矜持を私に見せてくれました。


と同時にまたまた悪友としての面もウインク

三味線屋だけに

高杉晋作のように?

芸者遊びという私の知らない世界を私に見せるのでした。笑


17時に待ち合わせし22時まであっという間びっくり


念願の

十四代という幻の酒もありつけて照れ

最近は暗い時が多かったけど久しぶりの心の洗濯ができました。


やきとん木々屋さんは

若い人ばかり

そういう時代も私たちの時代の如く いつしかこの場所もなくなり40年以上のブランク、そして再会でまた新しいドラマを語り合うシーン🎬を思い浮かべました。


感謝、感謝

魯迅の『故郷』のような結末にならず良かった。

え?知らない?

中学の教科書にありますよ。笑


それでは、また👋

ノスタルジーと

致死量ほどの希望と

スプーン一杯の不安を

胸に

これからも

私の愉快な仲間たちをご紹介して参ります。

次は私立城北高校の友人と会うかな?

悪友が多かったから・・・コロナが明けてよかった