野手転向と怪我を乗り越えた、ヤクルト?雄平の“復活劇”。 | サッカースパイクのブログ

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 -09年5月9日の対広島7回戦、ヤクルトの左腕?高井雄平は1-4でリードされた8回表に4番手として登板、1イニングを被安打1、失点0に抑えている。-08、-09年の2年間、0勝に終わっているが、東北高校卒の1年目に5勝を挙げ、-07年までの5年間で通算18勝(19敗)しているのをみれば、本格化するのはこれからだと私なら考える。

 しかし高井はこの試合以降マウンドには立たず、-11年からは登録名を「雄平」に変えて、野手として再スタートすることになる。

 東北高校時代の雄平は速球派として有名だった。高校球界にスピードガンが導入されて以来、左腕投手として150km台を超えたのは雄平が初めてである(MAXは151km)。コントロールは不安定だったが投球フォームに目立ったクセがなく、ボールが低めに集まる長所もあった。さらにゴロ処理のフィールディングや一塁けん制が非凡で、プロの投手として遠回りする要因は極めて少ないというのが私の評価だった。

高校1年の雄平は、打者の印象が強かった。

 初めて雄平を見たのは彼が東北高校の1年だった-00年秋の明治神宮大会、尽誠学園戦。このときの第一印象は実は打者としてのほうが強かった。当時私は『野球小僧』に、以下のような雄平評を書いている。

「東北高の左腕?高井雄平(1年?投手)のバッティングはよかった。ヘッドがスパッと抜ける打ち方で、左右両方向に鋭い打球を打ち分ける技術も備わっている。さらに俊足。これは相当目立った。

 プロで1、2番を打てる素材だが、左腕投手としてもサイド気味から140km台の鋭いストレートと、シュートボールを武器に高校生レベルでは高く評価されている。投手なら阪神の遠山タイプ。球質、持ち球までソックリ。しかし、投打を天秤にかければ素質のよさはバッター」

 遠山タイプと書いたピッチングはのちにストレートが150kmに達し、私の評価は野手から投手へと移っていくのだが、最初に心が動いたのは野手としての動きだった。-02年のドラフトでヤクルトと近鉄から1位指名され、抽選でヤクルト入りした。

新人年に27登板、100イニング以上を投げたが……。

 拙著『2003年版 プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社)では投手の部分にスポットを当て「1シーズン、マウンドに立ち続けるプロの体力、体格という点で即戦力を危ぶむ声もあるが、『先発の6番目』という役割くらいなら十分こなせそうな気がする。左腕という希少価値も1年目からの活躍を後押しするだろう」と書いた。

 要するに、投打両面で“超高校級”の評価が与えられていたのが当時の雄平だった。今年の5月28日、日本ハムとの交流戦で大谷翔平と石井裕也から本塁打をかっ飛ばすと、翌日の日刊スポーツは「“二刀流”先輩の意地」の見出しを立てた。大谷出現の10年前、投打二刀流で輝いていた高井雄平を思い出した人は少なくなかったはずだ。

 新人年の-03年には27試合に登板していきなり102イニングを投げ5勝6敗。将来の大成を予感させるには十分な成績と言えるだろう。しかし、これ以降シーズン100イニングを超えることはなく、-09年を最後に野手に転向したとは最初に書いた通りである。

打者としてレギュラーを手中に収めかけた時期の重傷。

 -10、-11年は一軍での出場はない。ファームでの成績は以下の通りだ。

-10年 98試合、307打数、87安打、4本塁打、打率.283
-11年 96試合、294打数、97安打、5本塁打、打率.330(リーグ1位)

 打者としての非凡な素質を感じさせる成績である。-12年は一軍で47試合に出場して打率.280、-13年は開幕3試合目の阪神戦からスターティングメンバーに名をつらね、出場が途絶える4月中旬までほぼ毎試合のようにスタメン出場を果たし、打率.297とレギュラーを手中に収めかけた。悪夢が襲ったのは4月17日の中日戦。守備のときに右膝を負傷し、これが前十字じん帯の断裂という思いもかけぬ重傷だった。

「本人以上に監督やチームにダメージを与えたと思いますよ。チームはあのケガから一気に負けが込むようになりましたから。本人も焦っていたんでしょう。即交代せず、じん帯断裂のままプレーを続けていましたね」(チーム関係者)

1年間をリハビリにあて、今年は勝負の年だった。

 とはいえ、故障がシーズン早々の4月だったことは不幸中の幸いだったかもしれない。手術が無事に終わり、退院したのは5月下旬。そこからリハビリを経て、来るべき-14年のシーズンまで自らのプレーを反芻する時間がたっぷり残されていた。故障回復後、雄平が真っ先に取り組まなければならないのは外野守備だった。

「野手に転向して一番大変だったのは守備だと言っていましたね。外国人がいるので守れなければ試合に出られない、と話していました」(前出の関係者)

 バッティングと走塁はいいけど外野の守りがいまいち、というのが雄平に対する平均的な評価だった。それが今年は改善された。

 たとえば5月29日の日本ハム戦、2-10でリードされた6回表、無死三塁で打席に立った4番中田翔がライトへファールフライを放ち、三塁走者の陽岱鋼が生還して得点差は2-11とさらに開いたが、このときのファールフライは平均的な外野手では到底捕球できない打球だった。これを果敢に捕りにいき、ホーム返球はセーフにこそなったが、かつて150kmを投げた剛腕らしい好返球で成長を印象づけた。

“走り打ち”なしで一塁に4秒前後で到達する俊足。

 こういう守備面での充実を支えているのが50m走5.8秒とも言われる俊足である。打者走者での一塁到達タイムで見てみよう([ ]内の数字は打席数)。

5/8   広島   [1]二塁ゴロ4.07秒、[2]左前打4.42秒
5/25 楽天   [2]投手安打4.20秒
5/29 日本ハム[3]一塁ゴロ3.99秒、[4]二塁ゴロ3.87秒

 雄平の打撃での持ち味は強打で、いわゆる“走り打ち”をしない。バットを振り抜いてから走っても、私が全力疾走の目安にしている「一塁到達4.3秒未満」を毎打席のようにクリアする。脚力とともに、精神面の成長も考えないわけにはいかない。

ヤクルトは下位、しかし光明は打撃にある。

 5月29日の日本ハム戦では4打数0安打と結果こそ残していないが、17球投じられたうち見逃したのはたった1球だけ。さかのぼって見ていくと、5月25日の楽天戦での内野安打は初球打ち、5月8日の広島戦での左前打は1ボールからの2球目、という具合に好球必打が目立つ。全力疾走も早いカウントからの好球必打も、野球ができる喜びを体全体で表現しているように私には見える。

 チームは6月1日現在、リーグ最下位に沈んでいる。これはある程度予想がついたことだが、5月は13勝11敗1分けと勝率5割を超えている。好調の原動力になっているのは打撃面で、リーグ最下位の防御率4.92にくらべ、チーム打率.291は2位阪神を2分3厘引き離す圧倒的首位である。

 打撃面の牽引役はリーグ1位の18本塁打を放つバレンティンであり、リーグ3位の43打点を挙げている畠山和洋、リーグ2位の116塁打を記録する山田哲人だが、川端慎吾(打率.310)、中村悠平(規定打席未到達も打率.364)とともに、日本人最多本塁打を放ち、打撃成績でも13位につける雄平の貢献も見逃せない。

雄平の活躍は、いかにもヤクルトらしい事態だ。

 ヤクルトはご存じのようにケガ人が多い。投手陣では由規が左スネの剥離骨折と右肩の手術の影響で過去2シーズン登板がない。館山昌平は右ヒジの手術で昨年の登板は2試合だけ。昨年新人王の小川泰弘は4月18日、阪神?鳥谷敬の打球が右手を直撃、右手有鉤骨鉤骨折で現在療養中……等々、さながら野戦病院の様相を呈している。

 過去10年、チーム成績が「2→4→3→6→5→3→4→2→3→6位」と乱高下している要因としては故障者の多さが無視できない。しかし、故障者がリハビリを経て戻ってくるというのもヤクルトというチームの伝統なのである。

 古くは岡林洋一、川崎憲次郎、川島亮が、最近では館山が-04年のトミー?ジョン手術を経て-05~-12年まで78勝を積み上げ、川端は昨年4月に右足首の手術を受けたが7月に復活、規定打席未到達ながら打率.311を記録している。

 故障からカムバックしてチームに予想外の勝ち星をもたらす――もちろん故障はしないほうがいいが、故障しても戻ってこられるサポート体制は心強い。雄平の活躍はいかにもヤクルトらしい。

文=小関順二

photograph by Hideki Sugiyama