視了 | 私は鶏になりたい

視了

朝ドラ『虎に翼』最終回が終了した。

『日本初の女性弁護士、女性裁判官になった人がモデル』というから
いつもの、常に希望を持って家庭と両立して男社会でも成功した女性。
…という話かなあ、AKだしなあ、
伊藤沙莉だから強気で早口でまくしたてるんかなあ…

という予測であったが、二週目に見立てはアッサリ覆される鄭重な物語。

それでも6週間は女性弁護士になったリーガルドラマと思っていたが結婚出産夫の出生戦病死等を経て
新憲法を読んで法曹界に復帰した2ヶ月でもう半年一巻読み終えた重厚さだった。

それからがドラマの本質。社会の弱い者としてまず女性を描くのが普通のドラマでここまでもその印象が強かったが、実は戦前の朝鮮人なども描かれてはいた。

戦後では戦争に翻弄され親を亡くした子、未亡人、朝鮮人、障害者、同性愛者、(明言されないが恐らく部落差別)などあらゆるマイノリティーを描いたことは大変意欲的であった。

マジョリティに押し退けられ社会の隅に追いやられるこれらの人を救う弁護士二人でこの二人もマイノリティー。

圧巻はこの弁護士が、父に虐待された末殺した所謂尊属殺裁判であった。

ドラマ後半は、ヒロインが邁進するより横にいる感じではあったが、新潟で出会った裕福な家に育ったがアプレゲール犯罪に手を染める少女を描いたのがまた凄かった。
彼女は東大法学部に現役合格し一旦物語から離れ、消息が知れたのは物語終盤。地方から東京に出て東京に圧し潰され破滅した。主人公はその遺娘と少年事件で出会いそれを知った。彼女も道を違える前に救われるべき者だった。

ドラマの過半は家裁を描きその存在、役割、意義と少年犯罪予防には厳罰化が必要とする政治や世論の主張を、保護が必要と訴えた。
その構図は上に挙げたマイノリティーにも当てはまる。

何から何まで保護する必要はないが、自分で道を選べる選択肢を、社会とマジョリティは提供すべし、と。


ドラマの進行中の半年にも実際我々が生きている社会に次々課題が出た。
賄賂事件、夫婦別姓、憲法11〜14条、旧民法では無能力者とされた女性の相続、長崎の原爆体験者裁判、そして昨日の袴田さん再審判決…
驚くほど現実の問題にタイムリーにリンクしていた。

それは我々が無意識にマジョリティの側に居てマイノリティーを見ようとしておらずあまつさえその人の権利を無視して来たか、を可視化したのたった。

演出としては、NHKの地力たる考証を積み上げ実際の事件を取り上げたり、マイノリティー本人を演者として多数起用したこと。

そして主人公は万能でなく、時に怒り子どものように泣き揺らいだり迷った、普通の人と描き続けたことも良かったが、伊藤沙莉さんの技量あって出来た役。

轟、山田よね他愛すべきキャラクター、片岡凜さんの鋭さも残る。

途中で興味が無い話題やテンポの遅速について行けない視聴者もあったようだが、終わり2週に答え合わせが出た。

戦前からの法律は今の社会に繋がる。戦後すぐの法改正は今を予見していたとも。
架空や過去の話しにしてはいけない、
非常に重厚な物語だった。