列車再現5
先日スユ11 2501…のようなものが出来たので
これを作ろうと思った列車を組む。
函館本線の所謂山線に走っていた夜行普通列車。
下りが41レ(列車の略)、上りが46レ(私が訪れる少し前は48レ)。
函館〜苗穂間の荷物列車のついでに普通車が付いている列車でした。
1985年2月14日函館23時51分発の41レはこんな編成でした(模型の車番とは合いません)。
機関車:DD51 1009[五]
1輌目(2号車)スハフ44 7 [函ハコ]
2輌目(1号車)スハフ44 20[函ハコ]
3輌目 マニ50 2139 [北スミ][北東航3]
4輌目 マニ44 2118 [北スミ][北東航202]
5輌目 オユ11 2501 札サウ[札航21]
という6輌編成でした。
◯機関車は五稜郭機関区所属
◯2輌の客車は函館運転所所属
◯荷物車マニ50は隅田川客貨車区所属、隅田川→青森→函館→苗穂→滝川→釧路へ
◯次の荷物車マニ44も隅田川客貨車区所属、同様に隅田川から苗穂まで運用されたパレット輸送荷物車
◯殿の郵便車は札幌運転所所属、やはり隅田川から苗穂まで運用
この車輌は区分室(車内で郵便物を仕分けする設備)がありますが、取扱便(仕分けしながら走る郵便車)は前年2月改正で廃止されており、護送便(郵袋そのまま運ぶ)としての運用だったのでしょう。
厳冬の深夜を走る列車。私は椅子にかけて居眠りしていれば翌朝札幌に着けますが、機関士、車掌さんはもちろん、自分で乗り換えしない郵便荷物を継送するひと、途中駅でポイント扱いする駅員、ホームに立って列車監視する駅長助役さん…
私は、沢山の誠実な人がいて成立した鉄道輸送システムの最終期に立ち会ったという旅行者でした。
この列車の写真(暗くてわかりにくいですが)は6年前のこのエントリに挙げました。
これを作ろうと思った列車を組む。
函館本線の所謂山線に走っていた夜行普通列車。
下りが41レ(列車の略)、上りが46レ(私が訪れる少し前は48レ)。
函館〜苗穂間の荷物列車のついでに普通車が付いている列車でした。
1985年2月14日函館23時51分発の41レはこんな編成でした(模型の車番とは合いません)。
機関車:DD51 1009[五]
1輌目(2号車)スハフ44 7 [函ハコ]
2輌目(1号車)スハフ44 20[函ハコ]
3輌目 マニ50 2139 [北スミ][北東航3]
4輌目 マニ44 2118 [北スミ][北東航202]
5輌目 オユ11 2501 札サウ[札航21]
という6輌編成でした。
◯機関車は五稜郭機関区所属
◯2輌の客車は函館運転所所属
◯荷物車マニ50は隅田川客貨車区所属、隅田川→青森→函館→苗穂→滝川→釧路へ
◯次の荷物車マニ44も隅田川客貨車区所属、同様に隅田川から苗穂まで運用されたパレット輸送荷物車
◯殿の郵便車は札幌運転所所属、やはり隅田川から苗穂まで運用
この車輌は区分室(車内で郵便物を仕分けする設備)がありますが、取扱便(仕分けしながら走る郵便車)は前年2月改正で廃止されており、護送便(郵袋そのまま運ぶ)としての運用だったのでしょう。
厳冬の深夜を走る列車。私は椅子にかけて居眠りしていれば翌朝札幌に着けますが、機関士、車掌さんはもちろん、自分で乗り換えしない郵便荷物を継送するひと、途中駅でポイント扱いする駅員、ホームに立って列車監視する駅長助役さん…
私は、沢山の誠実な人がいて成立した鉄道輸送システムの最終期に立ち会ったという旅行者でした。
この列車の写真(暗くてわかりにくいですが)は6年前のこのエントリに挙げました。