笠谷の真似でお馴染み | 私は鶏になりたい

笠谷の真似でお馴染み

朝のニュースで『えー』と声が出た
NHK NEWS WEB2024年4月26日 7時09分付け記事引用
「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去 80歳 札幌五輪で金メダル
(記事略)
私が小学四年生 1972年札幌オリンピック冬季大会は国民こぞって開催を祝い楽しんだイベントでした。

大会のずっと前から各競技が紹介され、イメージソングなど機運醸成も完璧。
でも北海道という原野の中の街なんでしょって印象だった札幌が1970年に百万都市になっていた事には内地の人間はびっくり。

タイヤ式地下鉄も開通して札幌は先進的な美しい街という印象を強くしました。

いよいよ本番の競技は中継されたアルペン、スケート、アイスホッケー、ソリ…みんな面白く色んなヒーロー、ヒロインが生まれました。

開催国日本は…分厚いヨーロッパ選手層やソ連、北米になかなか歯が立たず。
テレビは日本選手有望とは言うけどやっぱりな…唯一期待があったのジャンブ競技。

70m級ジャンプ、仕事してなかった人はみんな中継を見たでしょう。
果たして、青地、今野そしてエース笠谷で日本が表彰台独占という仕組んでも出来ないとんでもない慶事になりました。

あのジャンプ、特に笠谷幸生さんの印象は大変強烈で後年『笠谷のマネ』芸が発生しました。

三人組で行いないます。
一人がジャンパー役で両手を身体に添え足を揃えて伸ばしたまま前に倒れる。
一人がその肩を下から支える。
残る一人がジャンパーのズボンの両裾を盛ってパタパタさせる。
という芸でした。

スキーを開くV字ジャンブでなく板を揃えていた時代、空中姿勢も美しい選手でした。

我々には葛西でも原田でもなく笠谷幸生こそ日本のヒーロー。
合掌