法曹界にとって人の尊厳と何か | 私は鶏になりたい

法曹界にとって人の尊厳と何か

昨日、ある裁判官の弾劾裁判判決が出て、当該判事の罷免が決定した。

事の起こりは女子高校生が遭った殺人事件裁判の判決文に、この東京高裁判事がSNSに殺人被害を殊更興味本位に論った(この印象はひよこの感想)文面を投稿したこと。

投稿者の身分を措いても読むものに不快感を与える文面であったが、被害者遺族が読めば家族を失った者の心を徒に乱し故人の尊厳を傷つけるものであった。
悪質なことに投稿者が現役裁判官であることで騒ぎになって高裁の上司が繰り返さないよう注意を与えた。

他にも裁判所から注意をたびたび受け、分限裁判で懲戒も受けた。

更に殺人事件の遺族を揶揄する投稿をし、抗議によりいったん削除したが復活させた。
遺族から「精神的苦痛」を理由に提訴されると「因縁をつけている」とまた投稿。

細かい経緯はほかにもあるのだけど、二度目の分限裁判、弾劾裁判を経て昨日の判決は当然である。

判決により向こう5年法曹資格を失い、免職、退職金も出ない。
本人や弾劾裁判の弁護人は、「表現の自由が委縮する」「(投稿行為が?)処分による不利益と釣り合わない」というのだ。

冗談じゃない。

公務員でも特に裁判官は手厚く守られている。
裁判官忌避は申し立てられるが、下した判決に質を問われることもない。
それは裁判の当事者、行政、立法から独立して公平な判断を高度に求められるから。
私はそれに異を唱えない。

だが守られるのは職務行為に関してのこと。

裁判の被害者家族としたら、家族が殺人に遭い取り調べ裁判を経てやっと犯人が断罪され一区切りつくかと思ったら被害者を馬鹿にするSNS投稿が現役裁判官により為されたのだから、どれだけの落胆を被ったことか。
更に豊富な法知識を盾に自分を正当化して、傷口に塩を塗る行為を繰り返した。

これに倣う法曹界の者が出れば、憲法に保障する国民が裁判を受ける権利行使を委縮される。

だから国がこの判事を保護することができない、と罷免された。
と私は解釈する。

好き勝手発言するものを守るために弱いものを挫くことは法曹界の人間のすることではない。

さて今日からこの者を職務上監督するものがなくなった。
好き放題投稿を繰り返すのだろう。

言葉だけの謝罪では信用しない。
私は言論で元判事を石もて打つ。

(追記)
この判決に弁護士さんなどは、厳しすぎるとの意見が多数。

今後国会が裁判官の身分を取り上げることを乱用される危惧は尤もな指摘と私も思います。

本人が投稿に「悪意が無かった」という主張を判決では認めています。が、それよりも「被害者の心情を著しく害した」結果を判決は重く見ました。

一言で言えば
『悪気はなかったんだよ』『ジョークさ』で済ませたらいじめ事件は解決しないし無くならない。
ということじゃないですか。