越後中里のスハ43系客車
ここは話には聞いていたけど、もっと山の中かと思っていました。
上越線下り列車で越後中里駅に差し掛かった時
線路から少し離れて客車列が見えました。
?
焦ってカメラを取り出して、駅を発車する電車から連射。
(1号車)スハフ42だ
(2号車)スハ43だ
(3号車)台車が変わった、オハ47だ
(4号車)同じく
(5号車)スハ43に戻った
(6号車)またスハ43
7号車が空いて
(8号車)オハ47
この辺から電車が早くなって追いつかなくなる
一体いくつあるの?
最後は電車から遠くなって台車の判別ができませんでした。
屋根のベンチレーターは無いけど、状態は良さそう。
この施設は湯沢中里スノーリゾート(スキー場)で一番麓にこれらの車輛を置いて休憩所にしているようです。
キッズルームみたいな車輛もありますね。
この辺の山はゲレンデがいくつも整備されており、この施設はシーズンには上越新幹線の越後湯沢からバスもあるようです。
車輛の置いてある広い場所は駐車場。
ただこの広場に客車が目だった固定装置もなく転がりもせず置けるのは水平だから。
昔の様子は判りませんが、駅の脇のここに広い貨物側線や荷積み場があったと思われます。
駅は上越線全通時の昭和6年開設されており、立地から林業の積み出しだったのかと思います。
また清水トンネル建設時には基地であったかも。
置かれている車輛は、Wikipedeiaによると
スハフ42 2067(盛モカ)
スハ43 2166(仙フク)
オハ47 2232(盛モカ)
オハ47 2327(仙フク)
スハ43 2326(盛モカ)
スハ43 2345(盛モカ)
オハ47 2025(仙フク)
オハ47 2071(仙フク)
オハ47 2300(水ミト)
.スハ43 2481(仙フク)
スハフ42 2069(盛モカ)
スハフ42 2143(水ミト)
.オハ47 2029(新ナオ)
.オハ47 2027(新ナオ)
オハ47 2258(盛モカ)
.スハ43 2479(仙フク)
スハフ42 2032 (仙フク)
の17輌で、かつては7号車として.オハ47 2058があったとのこと。
(.付は横軽対策車)
欠車のところを除けば、編成の両端に車掌車の車掌室側を向けて置いてあって列車を解っている人が監修したのでしょう。
東日本の水戸、盛岡、福島、直江津から同じ系列の3車種ばかり集めて、アルミサッシ車がない、オハ46やオハフ45のような鋼板屋根車も混じっておらずかなり程度の揃った車輛を集めています。
ドア窓はHゴムですがよく見ると3種類あります。
越後中里駅のWikipedeiaではこれら車輛は1984年12月ごろ設置されたとありますが、同年4月1日には全車とも車籍があり結構急いで廃車の上集められたのでないでしょうか。
この年2月1日の改正では地方でα列車という短編成だが頻繁に来る列車を試験的に運用しておりそれに適した電車や気動車が起用され、長い距離を長い編成でたまに走る客車列車が減らされたのでした。
翌年3月10日には東北本線では旧型客車の運用が無くなり、86年11月改正で残った函館本線などでも運用終了。同時に郵便荷物車も無くなり87年JR移行となりました。
鉄道の博物館でも同系列の車輛をこんな数集めていることは無いので、珍しい施設です。
程度は良いけど、もう製造70年近い車輛もあり早めに見に行っておきたいところです。
上越線下り列車で越後中里駅に差し掛かった時
線路から少し離れて客車列が見えました。
?
焦ってカメラを取り出して、駅を発車する電車から連射。
(1号車)スハフ42だ
(2号車)スハ43だ
(3号車)台車が変わった、オハ47だ
(4号車)同じく
(5号車)スハ43に戻った
(6号車)またスハ43
7号車が空いて
(8号車)オハ47
この辺から電車が早くなって追いつかなくなる
一体いくつあるの?
最後は電車から遠くなって台車の判別ができませんでした。
屋根のベンチレーターは無いけど、状態は良さそう。
この施設は湯沢中里スノーリゾート(スキー場)で一番麓にこれらの車輛を置いて休憩所にしているようです。
キッズルームみたいな車輛もありますね。
この辺の山はゲレンデがいくつも整備されており、この施設はシーズンには上越新幹線の越後湯沢からバスもあるようです。
車輛の置いてある広い場所は駐車場。
ただこの広場に客車が目だった固定装置もなく転がりもせず置けるのは水平だから。
昔の様子は判りませんが、駅の脇のここに広い貨物側線や荷積み場があったと思われます。
駅は上越線全通時の昭和6年開設されており、立地から林業の積み出しだったのかと思います。
また清水トンネル建設時には基地であったかも。
置かれている車輛は、Wikipedeiaによると
スハフ42 2067(盛モカ)
スハ43 2166(仙フク)
オハ47 2232(盛モカ)
オハ47 2327(仙フク)
スハ43 2326(盛モカ)
スハ43 2345(盛モカ)
オハ47 2025(仙フク)
オハ47 2071(仙フク)
オハ47 2300(水ミト)
.スハ43 2481(仙フク)
スハフ42 2069(盛モカ)
スハフ42 2143(水ミト)
.オハ47 2029(新ナオ)
.オハ47 2027(新ナオ)
オハ47 2258(盛モカ)
.スハ43 2479(仙フク)
スハフ42 2032 (仙フク)
の17輌で、かつては7号車として.オハ47 2058があったとのこと。
(.付は横軽対策車)
欠車のところを除けば、編成の両端に車掌車の車掌室側を向けて置いてあって列車を解っている人が監修したのでしょう。
東日本の水戸、盛岡、福島、直江津から同じ系列の3車種ばかり集めて、アルミサッシ車がない、オハ46やオハフ45のような鋼板屋根車も混じっておらずかなり程度の揃った車輛を集めています。
ドア窓はHゴムですがよく見ると3種類あります。
越後中里駅のWikipedeiaではこれら車輛は1984年12月ごろ設置されたとありますが、同年4月1日には全車とも車籍があり結構急いで廃車の上集められたのでないでしょうか。
この年2月1日の改正では地方でα列車という短編成だが頻繁に来る列車を試験的に運用しておりそれに適した電車や気動車が起用され、長い距離を長い編成でたまに走る客車列車が減らされたのでした。
翌年3月10日には東北本線では旧型客車の運用が無くなり、86年11月改正で残った函館本線などでも運用終了。同時に郵便荷物車も無くなり87年JR移行となりました。
鉄道の博物館でも同系列の車輛をこんな数集めていることは無いので、珍しい施設です。
程度は良いけど、もう製造70年近い車輛もあり早めに見に行っておきたいところです。