須賀川のオハフ46 2021
保存車輌に入れていいのが解りませんが
鉄道車輌を民間などに払い下げか譲渡して利用する例があります。
国鉄末期多量に余剰になった貨車が払い下げられて倉庫に使われた事がありましたが、
多分数年で錆びて撤去したことが多かったと思います。
旅客車は元々客が乗る設備であるし、思い入れの有る方が払下げ後も貨車より少しは長く使うようです。
須賀川市に一輌姿が残っている車輌があるという話で過日見に行きました。
駅からちょっと遠く、阿武隈川を渡る長い登りざなになった橋を渡って向こう側の台地の上、また捜し探して、駅から早足で25分、見つけました。
お寺の敷地の端のようです
切妻の客車、スハ43系です。
車体はスカイブルーにアクセントの白ライン。
屋根はトタンで葺き直され、てっぺんに繋がった覆いがちょっとスハネ30を思わせます。
倉庫として利用されているようです。
旧型客車は貫通路はドアが無いから後付は必要ですが、テールライトも塗りつぶしてるの勿体ない…
台車は無く、大した基礎もなく直置きのようですが車体は弛んでもおらず全般に良い状態ですが、第一エンドの角の台枠は腐食しているのかな。
道路から見えるところだけ見ます
この系列で車掌室がデッキより内側に有るのは、車掌室(手ブレーキ)無しから改造された車輌の証拠。
反対側は元便所があった側。
ドアは此方から見る2枚ともHゴム化(大窓でない)。
側窓はサッシ化しておらずトイレ窓は曇りガラス。
(この辺は模型化の観察)
短い時間でしたが、懐かしく眺めて立ち去りました。
調べてみるとこの車輌は、オハフ46 2021であるとのこと。
この車輌には乗ったことがあります。
1984.12.13、確か水郡線から磐越西線に乗り猪苗代まで行って帰ってきた2242レに連結されていました。
このエントリに挙げた編成表再掲
また同形式の写真がこのエントリにあるので、再掲
この写真の車輌はオハフ46 2024。トイレ側の車端が写っています。
多分2021号も同じ向きだったので
初めの写真は磐越西線上で郡山(会津若松で方向転換すると新津)向きのエンド。東北本線では黒磯(南)側のエンドだったことになります。
乗ったことの有る保存車輌は真岡駅のスハフ44 25以来。
気づいていたらもっと親しげに見ておくんだった。
鉄道車輌を民間などに払い下げか譲渡して利用する例があります。
国鉄末期多量に余剰になった貨車が払い下げられて倉庫に使われた事がありましたが、
多分数年で錆びて撤去したことが多かったと思います。
旅客車は元々客が乗る設備であるし、思い入れの有る方が払下げ後も貨車より少しは長く使うようです。
須賀川市に一輌姿が残っている車輌があるという話で過日見に行きました。
駅からちょっと遠く、阿武隈川を渡る長い登りざなになった橋を渡って向こう側の台地の上、また捜し探して、駅から早足で25分、見つけました。
お寺の敷地の端のようです
切妻の客車、スハ43系です。
車体はスカイブルーにアクセントの白ライン。
屋根はトタンで葺き直され、てっぺんに繋がった覆いがちょっとスハネ30を思わせます。
倉庫として利用されているようです。
旧型客車は貫通路はドアが無いから後付は必要ですが、テールライトも塗りつぶしてるの勿体ない…
台車は無く、大した基礎もなく直置きのようですが車体は弛んでもおらず全般に良い状態ですが、第一エンドの角の台枠は腐食しているのかな。
道路から見えるところだけ見ます
この系列で車掌室がデッキより内側に有るのは、車掌室(手ブレーキ)無しから改造された車輌の証拠。
反対側は元便所があった側。
ドアは此方から見る2枚ともHゴム化(大窓でない)。
側窓はサッシ化しておらずトイレ窓は曇りガラス。
(この辺は模型化の観察)
短い時間でしたが、懐かしく眺めて立ち去りました。
調べてみるとこの車輌は、オハフ46 2021であるとのこと。
この車輌には乗ったことがあります。
1984.12.13、確か水郡線から磐越西線に乗り猪苗代まで行って帰ってきた2242レに連結されていました。
このエントリに挙げた編成表再掲
ED77 8[福]
オハフ33 2054 仙コリ
・オハ35 2834 仙コリ
オハフ61 3054 仙コリ
オハフ46 2021 仙コリ
また同形式の写真がこのエントリにあるので、再掲
この写真の車輌はオハフ46 2024。トイレ側の車端が写っています。
多分2021号も同じ向きだったので
初めの写真は磐越西線上で郡山(会津若松で方向転換すると新津)向きのエンド。東北本線では黒磯(南)側のエンドだったことになります。
乗ったことの有る保存車輌は真岡駅のスハフ44 25以来。
気づいていたらもっと親しげに見ておくんだった。