吉右衛門余録 | 私は鶏になりたい

吉右衛門余録

中村吉右衛門さんのおくやみを鬼平犯科帳中心に書きましたが
親戚関係を調べると一筋縄でいかず混乱ばかりなので
ちょっと調べました。

兄弟は兄の二代目松本白鸚(以前は九代目松本幸四郎を名乗った)
実父は初代松本白鸚
祖父は七代目松本幸四郎
実母は初代中村吉右衛門の一人娘

までは良いが、先のエントリで引いた記事にあるように
養父は初代中村吉右衛門…となるともうこんがらがってきます。

二代目中村吉右衛門さんは祖父の養子になった為、母が姉になり兄が甥になったことには悩まれた様です。

梨園で困るのは、名前が何度か変わりそれぞれ襲名があることで、後年になって誰が誰と同一だの、親子だのが訳わからなくなること。
吉右衛門さんは養子になったため名字も藤間から波野に変わっており
下の名まで変えてしまう人もあって何が何だか。

ざっと書いてみると…

伯父の十一代目市川團十郎は七代目松本幸四郎の子であると共に十代目市川團十郎(この名は追贈で市川三升が生前の名)の養子となってもいる。
市川三升は九代目市川團十郎の娘婿。
九代目市川團十郎の父は七代目市川團十郎であり九代目の兄弟に八代目市川團十郎や七代目市川海老蔵、八代目市川海老蔵などがいる。

十一代目市川團十郎はその前に九代目市川海老蔵と名乗り、私の伯母などは「海老様、海老様」と夢中になったと聞く。

九代目市川海老蔵=十一代目市川團十郎の子が十代目市川海老蔵=十二代目市川團十郎で
そのまた子が十一代目海老蔵(当代)で十三代目市川團十郎を襲名予定とか。

二代目中村吉右衛門の兄、二代目松本白鸚は以前は九代目中村幸四郎であり、その前に六代目市川染五郎と名乗っていて大河ドラマで呂宋助左衛門を演じたときはこの名。
(その子は十代目松本幸四郎や松たか子)

二代目松本白鸚、二代目中村吉右衛門兄弟の親も五代目市川染五郎→八代目松本幸四郎→初代松本白鸚と辿った。

叔父の二代目尾上松緑の子は初代尾上辰之助(夭折し三代目尾上松緑を追贈)更にその子が当代の四代目尾上松緑。

二代目中村吉右衛門の母方の祖父かつ養父の初代中村吉右衛門の弟に三代目中村時蔵、十七代目中村勘三郎などがある。

三代目中村時蔵の子が初代中村獅童(当代・二代目中村獅童の父)、萬屋錦之介、中村嘉葎雄など。

十七代目中村勘三郎の岳父が六代目尾上菊五郎でそのまた養子(六番目の妻の養子という)が二代目大川橋蔵(銭形平次でおなじみ)。

十七代目中村勘三郎の子に新派の波野久里子や五代目中村勘九郎(のち十八代中村勘三郎)がありその子が六代目中村勘九郎(当代)や二代目中村七之助(当代)。
十八代中村勘三郎の妻は七代目中村芝翫の娘でその弟に八代目中村芝翫(当代:三田寛子の夫)がいる。

六代目尾上菊五郎の子に七代目尾上梅幸があり、その子が七代目尾上菊五郎、その妻が富司純子。夫婦の娘が寺島しのぶ、息子が五代目尾上菊之助(当代)。
その五代目尾上菊五郎の妻は、何と二代目中村吉右衛門の四女。

必死に家系図を手書きしてみました。
算用数字は○代目を表わし、1は初代

舞踊などに進んだ人、芸能に関係ない人などは省いてこの規模。

更に血縁の他、芸道としての師弟関係は別にありその相関まで含めたら三次元モデルでないと表せないかも。

六代目中村勘九郎の妻の前田愛さんなど、この関係を記憶できたのだろうか?

ちょっとのつもりが5時間かかった…いやだこんな親戚。

お陰で波野久里子さんと富司純子さんが全く同じ生年月日(1945年12月1日)なんて情報も覚えてしまったけど。