新宮駅から列車救出 | 私は鶏になりたい

新宮駅から列車救出

9月の台風12号による、紀伊半島の豪雨被害の惨状はまだ記憶に生々しいと思っていたら、既に一月半ほど経っておりました。
川の道筋が変わってしまって集落ごと移転を余儀なくされたり、まだまだ復旧計画も途上。
3月11日の大地震が無ければ間違いなく今年最大の災害だったでしょう。

紀伊半島を半周するJR紀勢本線も大きな被害を受けており、和歌山県東端(紀勢本線のJR西日本管内東端でもある)新宮駅は那智川橋梁流出と熊野市駅構内の橋梁破損により孤立。駐泊していた特急車輌4編成も孤立してしまいました。
このうちJR東海の南紀のキハ75系は10月11日に熊野市方面が復旧して基地に戻れましたが、新宮以東は非電化のためJR西日本の車輌は動けず、車輌不足により特急列車の削減を余儀なくされていました(たとえば白浜~紀伊勝浦間は一日7往復あった特急列車が2本)。

で、12日漸くJR東海廻りでの回送が始まったそうです。
アサヒコム2011年11月12日23時38分付け記事引用
台風で足止めの特急、ディーゼル機関車が救出 和歌山

台風12号の豪雨で線路が寸断され、JR新宮駅(和歌山県新宮市)に約2カ月足止めされていた特急電車「オーシャンアロー」が12日、ディーゼル機関車に引かれて非電化区間を走り、名古屋経由で京都の車庫に向かった。JRなど鉄道各社による「救出劇」を見ようと、駅や沿線には多くの鉄道ファンが詰めかけた。

 9月初めの台風12号で、新宮駅の南約11キロの那智川橋梁(きょうりょう)が台風で流失し、京都・大阪と南紀を結ぶ特急「オーシャンアロー」1本と「スーパーくろしお」2本が新宮駅に留め置かれていた。JR西日本は名古屋経由の東回りで京都の車庫に回送することを決定。新宮以北の約190キロは非電化区間で自走できないため、JR貨物から機関車を用立てた。

 この日午後7時56分、「オーシャンアロー」は新宮駅を出発。第三セクター「伊勢鉄道」「名古屋臨海高速鉄道あおなみ線」も通って京都に向かう。残る2本の特急電車も順次回送する。
 共同通信も報じていましたが、昔はこんな車輌回送なんてニュースにならなかったんですが「鉄」ブームですかねえ。

伊勢鉄道を通す貨物列車ってのは知らなかったのですが、最近鵜殿から毎日一往復あるそうです(国鉄の伊勢線だったときは全線走る貨物列車はありませんでした)。
あおなみ線をどう走るのか不思議だったんですが、金城埠頭の方じゃなく、笹島(信)から稲沢(貨)までの貨物線(通称稲沢線:関西本線、東海道本線に平行)を通るんですね。

特急電車を稲沢までJR貨物のDD51で牽くのですが、機関車と電車の間にJR西日本の牽引車(事業用電車)をはさむようです。これは控車で電車と機関車の連結器が違うため仲立ちに入れるものです。

紀勢本線が全線非電化だった昭和40年~53年くらいまで名古屋~亀山~新宮~天王寺502.1kmを直通する特急くろしお・急行紀州・普通列車(天王寺~新宮間寝台車つき)が揃っていたり、東京から紀伊勝浦行き紀伊(夜行急行→寝台特急)が走っていました。

気動車急行網がすばらしくてシンプルな天王寺~白浜・新宮・熊野市発着きのくに、名古屋~天王寺直通の紀州のほか、
鳥羽~紀伊勝浦のはまゆう、鳥羽~天王寺のきのくに
天王寺~紀伊勝浦のきのくにに和歌山で南海本線経由難波発編成が白浜まで付くもの
名古屋~紀伊勝浦・紀伊田辺間の紀州
京都~鳥羽の志摩および京都~紀伊勝浦のくまの(草津線経由)
京都~(奈良線・桜井線・和歌山線経由)~白浜のしらはま(これには奈良で名古屋発の編成がつく)
これらに名古屋~奈良のかすがや名古屋~(草津線経由)~京都の平安まで絡んで伊勢志摩含め紀伊半島のあっちこっちで急行がくっ付いたり離れたりをやっていました。

普通列車でも1970年時刻表には草津6:11発和歌山市着20:48(亀山経由)なんて列車もあります。
昔の時刻表は楽しいこと。

南紀の勝浦や白浜が新婚旅行で行くような憧れの観光地でしたが、広い紀伊半島は道路事情も悪く鉄道が輸送を一手に引き受けていました。貨物列車もたくさんありましたし。
そんな時代を思うと、電化した故に車輌が1ヶ月半も動けないでいたなんて却って不便になったような…