12日は堀選手の引退試合
ロッテオリオンズ最後の選手、堀幸一選手が昨年限りで引退、
来る12日(土)の千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ(QVCマリン)でのオープン戦が引退試合となり、先発出場が予定されています。
堀選手の入団は1988年。公式戦出場は1989年から。
まだ川崎に居た頃から四番を打つ事がありましたが、それは開幕当初期待された外国人の四番が故障や不調で離脱して仕方なくやらされていた感があり、新聞のボックススコアで堀が四番に入ると「もうロッテは今季終戦か」と知るサインでありました。
本業はセカンドだけどサードやセンターやショートも守り、打順もいろいろやらされました。
それが定位置を得たのが1995年。
バレンタイン監督の下、二番ショートで巧打を生かすポジションを得て、初の3割。
この頃パ・リーグの投手力は強く、1995年の3割打者はオリックスのイチロー(.342)以外はJ・フランコ(.309)、堀(.306)、初芝(.301)のロッテ勢3人だけという厳しいシーズンの価値ある3割です。
その年6月まで最下位だったのが、シーズン途中からぐんぐん強くなり、最後は2位。
阪神淡路大震災の復興に向け「がんばろう神戸」を掲げ優勝したオリックスに対し、マジック1で乗り込んだ敵地グリーススタジアム神戸で、伊良部、小宮山、ヒルマンの3本柱で連勝して目の前の胴上げを阻止して意地を見せた9月15日からの3連戦が思い出されます。
これまた日本シリーズで阪神に4タテを食らわした2005年に初めてベストナインに選ばれるなど長く活躍して2000本安打に届くかと思ったのですが、昨年は出場機会もなくトライアウト後も獲得する球団がなく惜しくも1827安打で引退とのことです。
好きな選手だったんですけどねえ。
ひよこにはなぜか実際目にしたエラーの想い出が深いのです。
1つは1996年5月2日の日生球場での近鉄バファローズ戦。
3番ショートでフル出場し3打数2安打1四球と打撃は良かったのですが…
1回裏近鉄四番ローズの左中間二塁打でホームを一挙突いた一走大石をセンター諸積→ショート堀→キャッチャー定詰のリレーで刺したのは素晴らしかったのですが、
2回の守備で近鉄9番古久保のショートゴロがイレギュラーして肩に当たってセンターへ抜ける内野安打に(中村紀生還し先制点、この回3点失点)。
それはまだよくても続く3回また古久保のショートゴロを今度は後逸して生かしこの回4点。
6回に10点取られるなど4-19で大敗というゲームを演出してしまいました。
もう1回は1997年7月20日(初の海の日)、千葉マリンスタジアムでの福岡ダイエーホークス戦
ライト方向に幕張名物海風5mの中の3番セカンドで出場。
3回表ダイエー1番井口のセンター前への高いフライを堀が深追いしすぎセンター立川が取れず結局ライト前三塁打にしてしまいました(2番柳田のスクイズでダイエー専制)。
それでもロッテが押し気味で3-1で迎えた8回表、ダイエーが大道の二塁打、村松内野安打、井口のレフト前ヒットで1点。柳田のサードゴロは初芝→清水のバックホームで三走村松が憤死。
更に河野がレフト前へ叩いて満塁で黒木を降ろしたが、河本が続く四番小久保を浅いライトフライに仕留め2死。
5番吉永も高いセカンドフライでこの回逃げ切った…と思ったとき件の堀選手が取れず、打球は地面でポーンと高く跳ね転々とする間に満塁の走者が生還。
グラウンドで_| ̄|○ のまま動けない堀選手が印象的でした。
しかし、9回裏その堀の2点タイムリーで延長戦に持ち込み、10回裏仁村の左中間タイムリーでサヨナラという、実に起伏に富んだ楽しいゲームを演出しました。
こう書いててホントに楽しいです。
弱いときも強いときもロッテを支えた選手でした。
選手23年実働21年、大変お疲れ様でした。
(2011年3月11日17:59追記)
残念ながら、
東北地方太平洋沖地震により、オープン戦は中止になってしまいました。
来る12日(土)の千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ(QVCマリン)でのオープン戦が引退試合となり、先発出場が予定されています。
堀選手の入団は1988年。公式戦出場は1989年から。
まだ川崎に居た頃から四番を打つ事がありましたが、それは開幕当初期待された外国人の四番が故障や不調で離脱して仕方なくやらされていた感があり、新聞のボックススコアで堀が四番に入ると「もうロッテは今季終戦か」と知るサインでありました。
本業はセカンドだけどサードやセンターやショートも守り、打順もいろいろやらされました。
それが定位置を得たのが1995年。
バレンタイン監督の下、二番ショートで巧打を生かすポジションを得て、初の3割。
この頃パ・リーグの投手力は強く、1995年の3割打者はオリックスのイチロー(.342)以外はJ・フランコ(.309)、堀(.306)、初芝(.301)のロッテ勢3人だけという厳しいシーズンの価値ある3割です。
その年6月まで最下位だったのが、シーズン途中からぐんぐん強くなり、最後は2位。
阪神淡路大震災の復興に向け「がんばろう神戸」を掲げ優勝したオリックスに対し、マジック1で乗り込んだ敵地グリーススタジアム神戸で、伊良部、小宮山、ヒルマンの3本柱で連勝して目の前の胴上げを阻止して意地を見せた9月15日からの3連戦が思い出されます。
これまた日本シリーズで阪神に4タテを食らわした2005年に初めてベストナインに選ばれるなど長く活躍して2000本安打に届くかと思ったのですが、昨年は出場機会もなくトライアウト後も獲得する球団がなく惜しくも1827安打で引退とのことです。
好きな選手だったんですけどねえ。
ひよこにはなぜか実際目にしたエラーの想い出が深いのです。
1つは1996年5月2日の日生球場での近鉄バファローズ戦。
3番ショートでフル出場し3打数2安打1四球と打撃は良かったのですが…
1回裏近鉄四番ローズの左中間二塁打でホームを一挙突いた一走大石をセンター諸積→ショート堀→キャッチャー定詰のリレーで刺したのは素晴らしかったのですが、
2回の守備で近鉄9番古久保のショートゴロがイレギュラーして肩に当たってセンターへ抜ける内野安打に(中村紀生還し先制点、この回3点失点)。
それはまだよくても続く3回また古久保のショートゴロを今度は後逸して生かしこの回4点。
6回に10点取られるなど4-19で大敗というゲームを演出してしまいました。
もう1回は1997年7月20日(初の海の日)、千葉マリンスタジアムでの福岡ダイエーホークス戦
ライト方向に幕張名物海風5mの中の3番セカンドで出場。
3回表ダイエー1番井口のセンター前への高いフライを堀が深追いしすぎセンター立川が取れず結局ライト前三塁打にしてしまいました(2番柳田のスクイズでダイエー専制)。
それでもロッテが押し気味で3-1で迎えた8回表、ダイエーが大道の二塁打、村松内野安打、井口のレフト前ヒットで1点。柳田のサードゴロは初芝→清水のバックホームで三走村松が憤死。
更に河野がレフト前へ叩いて満塁で黒木を降ろしたが、河本が続く四番小久保を浅いライトフライに仕留め2死。
5番吉永も高いセカンドフライでこの回逃げ切った…と思ったとき件の堀選手が取れず、打球は地面でポーンと高く跳ね転々とする間に満塁の走者が生還。
グラウンドで_| ̄|○ のまま動けない堀選手が印象的でした。
しかし、9回裏その堀の2点タイムリーで延長戦に持ち込み、10回裏仁村の左中間タイムリーでサヨナラという、実に起伏に富んだ楽しいゲームを演出しました。
こう書いててホントに楽しいです。
弱いときも強いときもロッテを支えた選手でした。
選手23年実働21年、大変お疲れ様でした。
(2011年3月11日17:59追記)
残念ながら、
東北地方太平洋沖地震により、オープン戦は中止になってしまいました。