その時私はハワイに居ました
えひめ丸事故から10年ということでここ数日多くのニュースを目にします。
正確には明日で丁度10年ですが、今日からいろいろ忙しいですし現地では9日が発生日なので…
えひめ丸事故は、愛媛県宇和島水産高校の練習船『えひめ丸』499トンが、ハワイ・オアフ島付近でアメリカ海軍の原子力潜水艦『グリーンビル』と衝突して沈没した事故。
教員5名と実習生4名が行方不明(のち8名は遺体回収)、26名は救助されたが12名が重軽傷。
海上保安庁の通信等経緯概要 を読んでも緊迫感が伝わります。
潜水艦が作戦行動中や訓練でなく民間人を乗り組ませて急浮上のデモンストレーションを行ったときであること、事故直後潜水艦が救助活動を行わなかったことがまず不信を買い、軍の取調べに艦長のスコット・ワドル中佐が悪びれず夫人と手を繋いで現れて更に被害者や日本側の怒りを買いました。
事故の報告を受けた当時の森喜朗首相が直ちにゴルフを止めなかったことがきっかけで退陣に追い込まれる余録もありました。
さて、この時ひよこはたまたま家族でハワイ旅行の途中で、オアフ島・ワイキキのホテルに4泊逗留してしました。
人生初の海外旅行、いや飛行機も初。
で事故の起きた2001年2月10日8時45分(日本時間)は現地では2月9日13時45分。
この日は現地で申し込んだオプショナルツアーでオアフ島の南東にあるマウイ島に日帰りしました。
その時刻はラハイナの街でガイドさんから「あれは飯島直子さんが結婚式をした教会です」などと聞いて市内観光していたころ…
夕刻ハワイアン航空のDC-9でホノルルに戻り、夜ホテルでのんびりしていたら妹が「パール・ハーバーの沖で何かあったらしい」と言う。
早速テレビのニュースチャンネルを見たら、海上を船やヘリで捜索しているような絵が。
帰路の飛行機で右側の窓際に着座していた義弟が、海面に油が浮いているのを見たとも言う。
やがてNHKニュースで衝突事故と知る。
翌朝を採りに別のホテルに行きながらワイキキの街の新聞ボックスで買った新聞がこれ。
”9 missing after sub hit Japanese ship”
このホノルルアドバタイザー紙 はもちろん現地の新聞で
事故から僅か10数時間で日本人行方不明者全員の顔写真を揃えています。
これは無念さが伝わりますよねえ。更に
衝突時の両艦船の位置関係
艦船の比較
艦船の写真までビシッとそろえていました。
もちろん英字ですが、私でも意味がよく分かり事実がすんなり頭に入ってくる素晴らしい記事でした。
日本語でもこんな分かりやすい、知りたいことが知れる報道はお目にかかったことがありません。
ハワイはパールハーバーの軍港など軍の影響が強い土地でもありますが、
このホノルルアドバタイザー紙は、その後の報道でもアメリカ軍寄りにならず軍の責任と事実を追求し続けて報道していた記憶があります。
地元で起こった事故は地元紙の責任として報道する、という素晴らしい姿勢でした。
惜しいことにホノルルアドバタイザー紙は昨年6月6日限りでスターアドバタイザー紙 に買収され154年の歴史を閉じてしまいました。
ネット上に記事のアーカイブがあるんですが2001年3月15日~2010年6月6日分しかなくて、この事故の日のは無いんですよ…
事故の前の日、ワイキキの街でショッピングを楽しむ日本人の船員さんを見かけたのですがあれは、練習用帆船「日本丸」(Ⅱ世)の方でした。
事故翌日、まだ見つからない行方不明者の捜索のため日本丸が南東方向に出航して行くのをホテルからぼんやり眺めていました。
そういえば朝食を採ったホテル(モアナ・サーフライダー)からカラカウアアベニューに出てきたところ、車が歩道に横付けになって日本のテレビクルーと思しき男があわただしくジュラルミンの箱をいくつも降ろしているのを目にしました。
事故の直後潜水艦が救助活動を行わなかった理由が、海が荒れていたからといわれていますが、
ワイキキでもハナウマ・ベイでも潮が高いとか波が荒いという印象はありません。当日夕刻妹がワイキキで海に入っていましたし。
ただ滞在中晴れが少なく、帰国前日2時間くらい薄く晴れただけでしたが。
事故から帰国するまで数日あり、帰国後すぐ会社で終電帰りや泊りを繰り返す生活だったので、
実はその直後日本でどれくらいの規模の報道だったのかを良く知らないのです。
初めての海外旅行でこういうことに遭遇するって、珍しいんでしょうか?
正確には明日で丁度10年ですが、今日からいろいろ忙しいですし現地では9日が発生日なので…
えひめ丸事故は、愛媛県宇和島水産高校の練習船『えひめ丸』499トンが、ハワイ・オアフ島付近でアメリカ海軍の原子力潜水艦『グリーンビル』と衝突して沈没した事故。
教員5名と実習生4名が行方不明(のち8名は遺体回収)、26名は救助されたが12名が重軽傷。
海上保安庁の通信等経緯概要 を読んでも緊迫感が伝わります。
潜水艦が作戦行動中や訓練でなく民間人を乗り組ませて急浮上のデモンストレーションを行ったときであること、事故直後潜水艦が救助活動を行わなかったことがまず不信を買い、軍の取調べに艦長のスコット・ワドル中佐が悪びれず夫人と手を繋いで現れて更に被害者や日本側の怒りを買いました。
事故の報告を受けた当時の森喜朗首相が直ちにゴルフを止めなかったことがきっかけで退陣に追い込まれる余録もありました。
さて、この時ひよこはたまたま家族でハワイ旅行の途中で、オアフ島・ワイキキのホテルに4泊逗留してしました。
人生初の海外旅行、いや飛行機も初。
で事故の起きた2001年2月10日8時45分(日本時間)は現地では2月9日13時45分。
この日は現地で申し込んだオプショナルツアーでオアフ島の南東にあるマウイ島に日帰りしました。
その時刻はラハイナの街でガイドさんから「あれは飯島直子さんが結婚式をした教会です」などと聞いて市内観光していたころ…
夕刻ハワイアン航空のDC-9でホノルルに戻り、夜ホテルでのんびりしていたら妹が「パール・ハーバーの沖で何かあったらしい」と言う。
早速テレビのニュースチャンネルを見たら、海上を船やヘリで捜索しているような絵が。
帰路の飛行機で右側の窓際に着座していた義弟が、海面に油が浮いているのを見たとも言う。
やがてNHKニュースで衝突事故と知る。
翌朝を採りに別のホテルに行きながらワイキキの街の新聞ボックスで買った新聞がこれ。

”9 missing after sub hit Japanese ship”
このホノルルアドバタイザー紙 はもちろん現地の新聞で
事故から僅か10数時間で日本人行方不明者全員の顔写真を揃えています。
これは無念さが伝わりますよねえ。更に

衝突時の両艦船の位置関係

艦船の比較

艦船の写真までビシッとそろえていました。
もちろん英字ですが、私でも意味がよく分かり事実がすんなり頭に入ってくる素晴らしい記事でした。
日本語でもこんな分かりやすい、知りたいことが知れる報道はお目にかかったことがありません。
ハワイはパールハーバーの軍港など軍の影響が強い土地でもありますが、
このホノルルアドバタイザー紙は、その後の報道でもアメリカ軍寄りにならず軍の責任と事実を追求し続けて報道していた記憶があります。
地元で起こった事故は地元紙の責任として報道する、という素晴らしい姿勢でした。
惜しいことにホノルルアドバタイザー紙は昨年6月6日限りでスターアドバタイザー紙 に買収され154年の歴史を閉じてしまいました。
ネット上に記事のアーカイブがあるんですが2001年3月15日~2010年6月6日分しかなくて、この事故の日のは無いんですよ…
事故の前の日、ワイキキの街でショッピングを楽しむ日本人の船員さんを見かけたのですがあれは、練習用帆船「日本丸」(Ⅱ世)の方でした。
事故翌日、まだ見つからない行方不明者の捜索のため日本丸が南東方向に出航して行くのをホテルからぼんやり眺めていました。
そういえば朝食を採ったホテル(モアナ・サーフライダー)からカラカウアアベニューに出てきたところ、車が歩道に横付けになって日本のテレビクルーと思しき男があわただしくジュラルミンの箱をいくつも降ろしているのを目にしました。
事故の直後潜水艦が救助活動を行わなかった理由が、海が荒れていたからといわれていますが、
ワイキキでもハナウマ・ベイでも潮が高いとか波が荒いという印象はありません。当日夕刻妹がワイキキで海に入っていましたし。
ただ滞在中晴れが少なく、帰国前日2時間くらい薄く晴れただけでしたが。
事故から帰国するまで数日あり、帰国後すぐ会社で終電帰りや泊りを繰り返す生活だったので、
実はその直後日本でどれくらいの規模の報道だったのかを良く知らないのです。
初めての海外旅行でこういうことに遭遇するって、珍しいんでしょうか?