
http://longride.jp/happyend/
ミヒャエル・ハネケの最新作。タイトルとボスターにグッときて鑑賞。
そもそも10年くらい前に偶然レンタルショップの棚から「隠された記憶」のDVDを発見してしまったことでハネケ映画の微妙な魅力にハマっていた。
1回観ただけではよくわからず、2回3回と観た。この作劇の真の面白みを実感したい、その気持ちが大きかった。たぶん画面にそれだけの魅力があったんだと思う。そして少しずつ理解する。メディアへの親和性に対するハネケの疑問を。例えばテレビで見るタレントや政治家の話を無条件に信用したり、両親やまわりの大人の言うことより誰とも知れないブログに書かれていたことを信用するということ。合理性より操られやすい感情を優先する心理に対して、ハネケ映画は「本当にそれでいいの?」と疑問を投げかけてくるように見える。そして問題を黒と白に分けてわかりやすくして安心したい人に、さらなる追い討ちをかけて迫る。
実際の世の中にはわかりやすい善人と悪人などいない。どっちも持っているのが普通だが、テレビなどでは物語をわかりやすくするために黒と白に分けがちだ。こんなの子供向けアニメか時代劇にしか無いと思っていたが、最近はそうでもないらしい。テレビを観ないので実際のところはよくわからないが。
それはさておき「ハッピーエンド」の話。冒頭のスマートフォンのシーンから画面に釘付けだ。主人公のひとりである少女が実験と称して小動物を薬殺するシーンもスマートフォンで撮られている。重要な場面で度々登場するスマートフォン場面。これはハネケ自身が「コレ無しには現代では生活を営むことが難しい」と吐露しつつ、電車や劇場などの公共の場でスマートフォン中毒の大人を数多く観察しながら脚本アイディアとしたそうだ。
私も時々電車に乗るが、あえて雑誌や本を読むようにしている。読みたいものがあるのと同時に「なんだかわからないが、多くの人が同じ方向を見ようとする何か」に抗っていたいという気分でそうしている。
前作「愛アムール」で主人公の老人は重度の認知症になった妻を介護していたが、あるとき絶望感から彼女を殺めてしまう。「ハッピーエンド」はその続編の体だ。彼は妻殺しの自責の念を持ち続け、その解放の手段を探る。
いくつかの偶然の末に彼の豪邸に同居することとなった孫娘。殺人者としてイノセントである彼女とのめぐりあいによって、老人のラストミッションが企てられていく……というのが話の軸だ。しかし映画の面白みはそこだけでなく、舞台が移民問題で揺れているフランスのカレーという街だということ、実際に豪邸に使用人として雇われているモロッコ人一家であるとか、働かない放蕩息子がいるなど多彩だ。
そもそも「隠された記憶」でもフランス・アルジェリア問題をベースとした復讐が殺害の動機だったりした。日本にいると実感しにくいというが、新大久保で10代前半を過ごした私には部分的にその苛烈さがわかるような気がする。
「ピアニスト」にしても「ファニーゲーム」にしても独特の不快感(快感?)が私を引き寄せる。「ハッピーエンド」はコメディーらしいのだが、つくづくコメディーは基礎知識の上に成り立っていると思う。だからして、コメディーはケッコー難しい。