先日新聞の記事で読んだことですが

東日本大震災のあと
津波から逃げるときに抱っこしていた我が子を亡くしたお母さんがうつ状態で手紙を書いた、

臨床宗教師として活動する僧侶の方が
そのお母さんに会いに行き

うちの子は今どこにいるのか?と
聞かれたそうです


長い沈黙のあと
お母さんなら、どこにいて欲しい?
と聞くと


その答えをじっと待った、またさらに長い長い沈黙のあと

絞り出すように答えられたそうです



うちの子
光がいっぱいあふれて
いっぱいお花が咲いているところにいて欲しいな





私、この言葉に
涙が出てきてしまって。


この答えを一緒に待って
待ちながら交わす沈黙の会話がケアの第1歩と話されていました


私は無宗教だけど

苦悩や悲嘆に向き合って宗教的ケアを施すというこの臨床宗教師という役割は

大きな悲しみに包まれた人々には
本当に必要な存在かもしれないなぁと思ったのです



想像もつかない、このお母さんのような大きな悲しみに

私たちが見舞われることは
いつでも十分にあり得るからです


ひとごとではないからです







今度はネパールで大きな地震が。


インフラの整ってない国での災害がどれだけ大変か、大震災を少なからず経験している日本の私たちは容易に想像できます


大きな避難所もなく
安全な屋内もなく 外に集まって怯えてる人々

水は、食料は、
子どもは、お年寄りは、
どこかで救助を待ってる人は、
どうなっているのか




決して裕福ではないこの国は

日本の大震災のときに援助してくださいました



今こそお返しできるとき。



無関心ではいられない
そう思います



そう、ひとごとではないんです




どうかたくさんの支援で
少しでも早く安堵の日を


願わくば、命と生活と
同じくらい
精神的な支援も。

心から願います