なんか、日本シリーズは中日が優勝したそうな。

テレビではやってなかったみたいだし、まぁ別にもともとどっちが勝とうが知ったこっちゃないけどね。


なになに?それで?

ふ~ん、山井が8回まで一人のランナーも許さないパーフェクトピッチングだって?それで、ダルビッシュから奪った虎の子の1点を守る為に、9回は守護神の岩瀬にスイッチしてこれまた3人で片付けてパーフェクトリレー?

いいんじゃぁないですか?いかにも中日の野球で。

まぁ中日のおもしろみのない野球は今に始まったことじゃないし、一生懸命に応援しているであろうファンの気持ちなんてどうでもいいんでしょう。自分たちが勝って、勝者になってまた来年の給料が上がればそれで。

この試合を見ていた人が果たしてどれくらいいたか知らないけども、日本シリーズで完全試合を見られるなんて、「こ、これは・・・『一生のうちにあるかないか』の物凄い事では?」と期待した人は何人かいたと思う。けれど、そういう人たちの気持ちは全くの完全無視でもって岩瀬にスイッチした。素晴らしきかな中日野球。

細かい事は知らないが、山井の交代は予定通りで、山井投手本人も依存はなかったらしい。そりゃぁ確かに、8回まで投げて、9回は岩瀬で締める事が予定通りだったかもしれない。たとえそうであってもだ。これほどまでに完璧な、スバラシイ前人未到に限りなく近い快挙を目前にして、山井の気持ちは果たしてどうだったのか?9回も投げさせてもらいたい気持ちが露ほどもなかったと言ってその言葉を誰が信用するだろうか?1万人に聞いたら1万2000人が「んなわけねぇじゃん?」って答えるはず。


こんな試合をやるから野球人気は下降していくのさ。少年たちはどんな気持ちで見たか?これほど素晴らしい成績を残して、快挙を達成するところまで来ているのに監督の胸ひとつで降ろされるなんて。夢なんてみるなという事だ。とにかく勝てばいい。チームが勝つことが全て。

「フォア・ザ・チーム」とよく言うけども、それは個人の暴走を戒めての事だと僕は理解している。個人の力に偏ると、「おまえがあそこでエラーしなかったら勝てた」とか「オレのピッチングのおかげで勝った」とか、「4番が打てないから勝てない」とか、ついつい犯人探しをしてしまうからだ。誰しも好不調の波はあるもので、従ってチームが一丸となって個の力に頼らずみんなの力を結集して臨もうという姿勢だ。オレがオレがと力まずに、役割を果たす事に集中しようという事だ。それは、近代野球が次第次第にスポーツ工学に基づいて心身に負担を強いないよう、選手の「過度な頑張り」をさせないやり方とも通じる。しかし今回の場合は特に無理な事はなかったはずだし、たとえ記録にびびって逆転負けをくらったとしても、それを責める論調なんて一切生まれなかったに違いない。何せ日本シリーズの完全試合だ。そんなチャンスないって。ホントにあり得ないことやろうとしてたんだって。


中日ファンはそれで嬉しいの?人の好き嫌いだから別にいいけど、僕なら愛想つかすね。そんなチーム。だっていったいどこに感情移入出来る?「フォア・ザ・チーム」の源は一人一人の力であって、彼ら一人一人が頑張った結果、集団の力が作られるのだ。その個人の力や頑張りを、結果を生むための部品としてしか見ないなんて、それは個人の感情はいらないし、プロとしての力を発揮する事だけしか求めないという事で、言うなればマシンになれという指令だ。そうして、応援するファンの気持ちは全くないがしろにされているわけだ。無観客試合でいいよ。


ひとつ付け加えるが、数日前に僕は「プレーオフ制度に物申す! 」という文章を書いた。シリーズの成績が生涯成績に加えられるならば、山井の交代は或いはなかったんではないかなと僕は想像する。


日本ハムのヒルマン監督はきっと心の中で何度も何度も「シンジラレナーイ!」って叫んだはず。ニホンノヤキュウスバラッシイケドシンジラレナーイネ。


夢がないってのはとっても悲しい事だよ。