もう処分が出たことだしボクシング知識もない事から、この件について書くつもりはなかった。
が、「謝罪会見」とやらを見てしまい、またぞろ煮え切らないものがむくむくと湧き上がって書く事にした。
あれのどこが謝罪なのか?反則行為の実行者は被害者顔してひたすらしょんぼりしたまま口を開く事もなかった。「君が謝罪しに来たのではなかったのか?」
おまけに2分で途中退席。
父のコメントには、そのはしばしに悔しさが滲んでおり、口調には相変わらず関西弁が混じる。「この親にして」だが、言葉の使い方自体がまるでなってない。
「今回はちぃとへた打ったけどもやなぁ、俺らはいずれ復活するんやから、これでけじめつけさせといたれや」ってなもんだ。
会見の中で、父は「とりあえず」を何度となく(少なくとも5回以上)使った。騒ぎを沈静化したいがための「取り成す気持ち」が垣間見える。「とりあえず」という、一時しのぎ、その場しのぎ以外の何物でもないわけだ。単に言葉の使い方を知らないとも考えられるが、そういう時こそ本心が垣間見えるという事だ。
「反則指示」の疑惑について聞かれると、「今はわかりません」などと一転トーンダウンした上で「ただ逃げた」。「今はこういう状態」と次男をかばいまくり、「内藤陣営に対する謝罪が先では?」の問いに「日を改めて」と答える。つまりはショックで憔悴しきっている息子の心配が先に立っている。父として、セコンドトレーナーとして、「まずは私から内藤選手にお詫び申し上げる」という事だって言えたはずで、一刻も早く気持ちの整理をつけて「(そののち)本人がお詫びに伺う」やり方もある。第一、内藤選手に詫びる詫びない以前に「息子が詫びる気持ちがあるかどうかすら」語られなかった。
あれは謝罪なんてものではない。けじめ会見でしかない。それも、沈静化の為の「とりあえず静かにしたれや」会見だ。それもあくまでも「息子のために静かにしたれ」だ。
この会見の前段階で、既に「(息子の)1年間のライセンス停止は重すぎる」と不服を述べている。そうして会見では、処分について聞かれて「仕方がない」と語った。
僕は「なにっ?!」と思った。そして、どこかで聞いたなと思う。
3ヶ月前の、「原爆はしょうがない」と発言して批判を受けて辞任した久間大臣だ。
「仕方がない」と「しょうがない」。同じ意味だろう。
「しょうがない」を辞書で引くと「うまい方法がない」と出た。
「仕方がない」は「しょうがない。どうにもならない」と出た。
久間大臣は、原爆に対して強く抗議するという大臣としての職責放棄との批判を受けた。他の選択肢に言及或いは模索する姿勢を見せなかったからだ。
一方、「仕方がない」「どうにもならない」という発言は、JBCの裁定を左右する力が自分達にはない事を自覚してのもの。これは、「もし自分ならそういう処分にはならなかった」という怨みが透けて見える。「厳しすぎる」という悔しさだけだ。
では何故不服なのか?
わかりきっている。以前にも「勝者が強者だ」と発言している父の戦術には「反則すれすれ、或いはたとえ反則でも『レフェリーの目をかいくぐれば』それは立派な戦術」と自覚しているからだ。
それがいわゆるひとつのですねぇ、「亀田スタイル」なんですよ。
今後もスタイルを変えるつもりがない、と言い放った父。これはもの凄い発言なのだ。「反則も戦術のひとつじゃ!」としか考えていないからだ。
この会見をよくよく噛み砕いてみると、「おれらが反省なんかするかボケ!」と今でも考えている事がよ~くわかる。
「勝てばいいんじゃ!何やろうが勝ったらええねん!勝った方が強いんじゃ!」と会見の席でも思ってたに違いない。過去の試合は全てそうやって勝ってきたからだ。
彼らがやってるのはただのけんか。
ボクシングは格闘技系のスポーツだと思うが、亀田家の認識は違う。
彼らの認識は「ボクシングはスポーツみたいなけんか」だ。けんかしてがっぽり金もらえるんじゃからこれほどええもんはないわいとしか思ってない。
次男はまだ若いから、と擁護する意見もあるようだが、もうそれはやめたほうがいいと思う。何度だって裏切られる事は目に見えている。追放を願う。