改造内閣が発足したらば支持率が早速ちらと上がって、これは歯に衣着せぬ物言いの舛添さんが起用されたから、これは「お友達内閣」の批判をかわす狙いがあるそうだがまぁあれくらいビシバシ言う人なら「言うほどの仕事は」やってくれるんではなかろうかという淡い期待をこめての事だろう。ところがギッチョン就任した大臣が何ひとつ仕事をする前の段階(たぶん自分のデスクの整理すらこれから)で金の問題が出てきてもう辞めた。鬼門の農水大臣。これは就任会見のコメントで本人自らが「いちばんやりたくないとこが回って来た」とのたまったくらいだから「あれがバレタラまずいなぁ」なんて考えてたのかもしれない。周辺の人たちからもぽろぽろサビが出て来てて、「やっぱり安倍さんが辞めないんじゃおんなじだぁよ」という見方が正しかった事になり、それでもなほ「虚空の一点を見つめたまま安倍さんは辞めない」のなら、いっそのこと「農水大臣を兼務します」くらいは言って欲しいところで、そうすれば農水大臣のポストが不在になる事もなかろう。仕事をする以前に大臣に相応しくない人が就任し続けてんだから、そりゃろくな仕事はしてないだろうし、という事は、農水大臣は果たして必要なのか?と本気で考えたりしている今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?


テレビ朝日系のバラエティで「グッドニッポンバッドニッポン」みたいな特番をやってた。お店を営業中だからそのチャンネルがたまたまついてただけで、はまって見ていたわけではない。

海外における日本食のレストラン・料理店が近年とっても増えており、外国人に人気だそうだ。日本食はヘルシーだから人気があり、また何と言っても「うまいから」というのがその理由だそうだ。専門家によれば、日本には四季があるおかげで食材もバラエティに富んでおり、旬の食材を使って季節ごとに違う味が楽しめるという事だ。なるほど。


そこで考えた。

近頃、四季の感覚が薄れたなぁということを。

ひとつは地球温暖化の影響がある。

雪のない冬や涼風のない夏だ。

都会では特にそうだ。ビルがにょきにょき立ち並ぶせいで風は遮られ、時々吹くのはエアコンの室外機から出てくる熱風の混じったほこりそのものの生ぬるいビル風。アスファルトの照り返しで路上はフライパン状態。家に帰っても、毎晩続く熱帯夜でエアコンを使わないわけにいかず、すると縁側で風鈴に耳をすませながらうちわを使うなんてのはテレビドラマの世界だけ。暑すぎるって。

旬の食材?

スーパーに行けば、ハウスもののおかげで何でも手に入って何が旬だかわからない。これは自分の無知のせいもあるが、四季を通してほとんど全ての食材が手に入るからもうわからなくなる。これは、「消費者が我慢できなくなっている」或いは「わがままな」せいもあるんじゃなかろうか?昔は季節によって手に入らないものはあったはずで、それを欲しがるのは「とち狂った事」でしかなかった。が、「冬にも食べたい」「夏でも食べたい」わがままに応える形でハウス栽培をし、または外国から輸入をし、スーパーに並べるようになったのだ。


もちろんそれは便利な事ではあるのだろう。そういう風になっている状況を、そうなる前に戻すべきとは言わない。言わないが、季節感が薄れた事は事実だ。

昔、東京にいた頃に「お前の田舎は魚がうまいんだろう?」と言われた事がある。長崎県だから、さぞや魚がうまいのだろう?と聞かれたのだ。それは、例えば釣り番組あたりで長崎の近海の島がロケ地として登場するケースなどがあり、確かにそうなのかもしれない。だが、正直言って僕自身は長崎の魚がうまいと感じた事はかつてなかった。そこにずっと留まっていると、「そこにあるのが当たり前」の感覚を持ってしまい良さがわからないという事だ。


日本には四季があるおかげで、その季節ごとに様々な味わいがある。それは食べ物に限らず、身につけるものや年中行事や、折々の風物詩もだ。

外国人から見たら、そういうものは日本独特の良さであり、それが文化というものだろう。僕の普段の生活では、コンビニに登場する季節ごとの新商品で感じるのが関の山なのだが、もう少しそのような部分にも目を向けたほうがよさそうだなと、そう思った。