昨日は終戦記念日でした。
数日前、読売新聞の訃報欄にアメリカ人の写真家が載っていました。その方の名は「ジョー・オダネル」さん。もとよりその名前を知りませんが、訃報のそばに掲載された小さな写真に僕の目はくぎづけです。「焼き場に立つ少年」というタイトルがあります。
口を真一文字に結ぶ少年のきっとしたまなざしと、揃えられた両手とはだしの両足。この写真が物語る悲しみを、僕は言葉にできない。
ジョー・オダネル氏が亡くなったのは8月の10日。享年85歳。残留放射能により、自身も原爆の後遺症に苦しんだそうです。ご冥福を祈ります。
丸ごと掲載するというのは好みませんが、ネットを探したら氏の文章ごとその作品が見つかりましたので載せさせてもらいます。何より、この写真を見て欲しくて。
目撃者の眼 報道写真家 ジョー・オダネル
1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
アドレスも載せます。
http://www.lootone.com/poem/poem05.html
『焼き場に立つ少年』