以前から横綱の品位に欠けると何かと物議を醸していた朝青龍に対して、「追放して欲しい!」というような事を前に書きました

その気持ちに変わりはありませんが、それでも、僕一人が声を大にしたところでそうはなりません。

頭にきたのは、先場所の「立会い変化による注文相撲」でした。風呂場で乱闘騒ぎを起こすとか、マゲをつかむ禁じ手をやらかしたとか座布団を蹴ったとか、そんな事はよろしい。また、横綱の品位に関する話も、これは解釈の違いでもあるからまだいい。本人は「勝つ事が全て。品位なんてくそ喰らえ」的な事を言ってますが、それならそれでよろしい。やっぱり、あの注文相撲には僕はとさかに来ました。横綱がやっていいわけない、と。で、それでもなお、ぎりぎりルール的にはセーフなんで、その地位を追われるわけではないでしょう。

そうして、そのような朝青龍を見ていると、これはもう彼の存在価値はダーティーでしかないなと思います。ダーティーでも、「それでもめっぽう強いのだ!」という点でこそ彼の存在意義があるのじゃないかと思うわけです。


かなり時代を遡りますが、これは、かつてプロレス界で一世を風靡したアブドーラ・ザ・ブッチャーやタイガー・ジェット・シンを思い起こすわけです。フォークやサーベルを使った凶器攻撃を容赦なく行ない、猪木や馬場を血まみれにしたあの悪役レスラー達です。レフェリーのカウントが1!2!3!と進む間の、5カウントまでなら確か反則は許され、そうして目に余るという事で「あんた反則負け!」を宣言されるまでは情け容赦なく彼らは凶器を突き立てました。でも、彼らは実は反則を使わないセメントファイトもちゃんと出来たのです。「なんでちゃんとやらないんだ!」と猪木は憤慨し、じろりと相手を睨みつけて無言だった馬場もそれを知っていました。「凶器なければただの人」ならあのようなメインイベントは務まらないし、誰も目のカタキにはしません。無論それは演出ですが、この外人レスラーと日本人レスラーの対立は「正義と悪の戦い」としてプロレスを大いに盛り上げたわけです。


モンゴルからやって来た朝青龍は、日本人力士の倒すべき相手として、もう恰好の悪役になっています。彼の素行を見るにつけ、その構図に自分を当てはめているんではと思わせる事態です。彼が横綱になってどれくらいか知りませんが、番付を駆け上がってきた朝青龍の強さと勢いは誰もが認めるところで、悔しいけれど本当に強かった。だから、早く日本人力士の誰かが彼を倒してくれないかとそればかりを待ち望んできたというようなところがあるはずです。で、上がってきたのは日本人ではなくモンゴルの後輩でした。

「俺を倒す奴がいるとしたらこいつだ」と朝青龍は3年前に言ったそうで、これは「スポーツうるぐす」で競馬のおじさんが言ってました。白鵬は「えっ?そうなんですか?」と驚いていましたが。たとえ白鵬の力を認めていたにせよ、しかし朝青龍は簡単に彼(白鵬)の時代を許してはいけないはずです。

「一度や二度勝った位で調子に乗るなよ。俺の優勝回数を越えるまでは認めネェ!」

くらいの気持ちでいて欲しい。

だから、千秋楽ではせめて全勝をはばんで欲しかったんですが、どうやら真っ向勝負に敗れてしまいました。まぁ、千代大海戦で二敗目を喫したところで気持ちが切れてしまったようです。だからこそ言いたいのです。


「てめぇそんなもんかよ?」


ダーティーなイメージがどれほどつきまとおうと、強いのが横綱じゃァなかったんかよ?負けんなよ?

目標があるからこそ、下位力士だって必死になれる。強い横綱がでんとふんぞり返ってるからこそ下位力士の稽古にも熱が入るはずです。弱かったら悪役だってつとまらないのです。


新しい横綱の誕生。白鵬の強さは確かに認めます。

白鵬が出てきた頃、父と相撲中継を観ていました。

「こいつ、強いネェ。横綱まで行くんじゃない?」と僕。

「まぁだまだ。これから色々あるよ」と父。

父がまだ生きていたら、「おう、登りつめたなぁ」と笑ったことでしょう。


終わった事は仕方ない。でも、朝青龍にはもう一度奮起して、憎らしいほど強い、あの、ぶん殴りたいけど、でもこぶしを引っ込めるしかない、誰も文句を言えない面構えを取り戻して欲しいところです。


そうそう。雅山が勝ち越し。おめでとう。

君の居場所は九枚目なんかじゃぁない。早く三役に戻って、また大関に返り咲いて欲しい。ライバルの琴三喜に先越されちゃうよ?