藤本美貴(ミキティ)とお笑いの庄司智春が熱愛中だそうだ。


ご存知のように、加護亜衣が未成年にも関わらず喫煙していた事で謹慎処分となり、彼女は謹慎が或いは解けるやもしれなかった時期に再び懲りていない事が知れてとうとう事務所を解雇された。次に姿を現すとすれば、それはもういわゆる「晒す」しかないだろうと言われている。

次は加護とユニットを組んでいた辻希美だ。杉浦太陽とできちゃった婚を発表。

メンバーに留まらず、一緒に仕事をしている多くの先輩タレントにも迷惑をかけ、それなのに互いの愛称を呼び合うでれでれ会見。いったいどの面下げて?恥という言葉を知らないらしい。


アイドルグループというのは、何と言っても夢を売る商売。

(問う方にも問題があるが)恋人は?と問われれば「ファンの皆さんひとりひとりが恋人です」と宣言するのが本当だろう。僕もむか~しむかしにはそんな時代もあったやもしれないが、目に届く場所にご贔屓の写真を置き、その歌声を聞き、顔を眺め、元気や勇気をもらい、また勉強や仕事に励む為の元気の源だろう。

それが、スポットライトの当たらない場所では「大人のレッスンをしていました」ではつとまるはずがない。ヘアヌードも解禁されている事だし昔と違って今はオープンで、「恋人の存在をほのめかす」くらいはあってもいいとは思う。けれど、妊娠するなどとはやはり無責任のそしりは免れない。現代はタレントの活躍の場も守備範囲が広く、いち歌手であってもバラエティ番組、CM、舞台、声優、イベントなどなど、歌番組だけではない広がりがある。すると、身内以外の多くのタレントと一緒に仕事をするケースだって数々ある。妊娠して仕事に穴を空けるという事態はとっても迷惑この上ない。辻はそのような「責任」に関して殆んどどこ吹く風の様相で、そういう態度こそ若年層に大いに影響していると思うがどうだろうか?また、辻よりタチが悪いのが杉浦太陽。「命」がどうとか言ってたみたいだが、(これは辻の発言だったか?)何の準備もしないまま「その大切さ」を叫んだところで空虚でしかない。本当にお互いに愛を誓い合ったのなら仕事にきっちりけりをつけてグループの一員でないソロタレントとさせて、そうして宣言するべきものだ。誰がどう見たって「できちゃった」わけで、それはやはり男として大いなる無責任だ。


そんな中で出た藤本美貴の熱愛。

いったい事務所はどういう教育をしてるんだろうか?


その昔、テレビ出演を一切拒否するミュージシャンが多くいた。

中島みゆき、吉田拓郎、井上陽水、松山千春の面々だ。長淵剛もそうかも。他にもいたと思う。

彼らはシンガーソングライターであって、「俺のメッセージは曲の中にある」というポリシーを貫いていた。俺の顔を見てどうする?俺の私生活をのぞいてどうする?伝えるべきはこの曲だ!とばかりに懸命に曲を書き、その想いを詩に託した。

テレビに出演すると、演出(ときには過剰な演出)のせいでその本意が伝わらなかったり或いは捻じ曲げた・ずれた表現になったりという事を恐れたものだ。緊張して演奏を失敗する心配だってあったかもしれないが、やはり自分の伝えたいものは何かを考えてテレビを拒否した。

すべからく誰もがそのように徹底するべきとは僕も思っていないが、イメージを尊重する事は大切だ。


今や、ファンの殆んどは彼女たちに対する猜疑心を抱いている。

「どうせ裏では・・・」みたいな気持ちだ。

若い時代の一時期には、誰だってご贔屓のタレントが一人や二人はいるもので、そういうことにハマルというのもひとつの通過儀礼。何年か経って熱が冷めれば「あぁそういう時期もあったなぁ」と思い起こす青春のひととき。そうして大人になると、それはひとつのビジネスだったと割り切れるものではあるが、それでも「ただ今モーレツにモー娘。命!」のトランス状態にある者にとって大きなショックだ。


ハロプロは今崩壊の危機にあるといっていい。

リストラクチャリング(再構築)の大なたを振るうときだろう。

つんく君。自分が儲かればそれでいいのか?