地球温暖化をテーマにした「不都合な真実
」という米映画があるそうで、これは日本でいつ上映されるのかまたはされないのか僕は知らない。
「由々しき問題なんだよ?」とその重要性を説かれれば、「あぁ、確かに」と誰でも考える。コンビニで貰うビニール袋も、それが何万枚も重なったら大変なゴミになるし、家での食事なら割り箸やストローは「いりません」とひと言いうだけでゴミ減らしに役立つ。燃えるゴミと燃えないゴミの分別は相当に大変でうるさい作業だが、これも地球の温暖化やダイオキシン対策と思えば面倒だと嫌ってもいられない。
もし、このまま地球の温暖化がぐんぐん進んだとしたら?
地球規模で考える頭はないので、日本の「四季」が「三季」になると考えてみる。
秋の後半がやや寒く、春の前半がやっぱり少し寒いのだ。だが、雪なんて北海道だけの限定的なものになり、それ以外の地域の住民にとっては全く縁のないものになる。この冬は関東に雪がまだ降っていないらしく、雪なしになりそうな気配だそうだ。
レジャーにおけるスキー人口も大幅に減り、今で言えば例えば乗馬をやる人と同じ位のごく限られた人たちの贅沢な遊びとなる。
冬季オリンピックの日本の成績は惨憺たるもの(既に、トリノでのメダルは荒川静香だけだった)で、競技人口が年々減ってしまって不参加を余儀なくされる競技が続出する。
衣料業界では毛皮を扱うアパレルメーカーが激減し、金持ちは別だが、芸能、モデル関係の一部の人たちだけが所有する(需要が下がるから値も上がり)稀少品となる。ダウンジャケットやブーツなんて全く流行らないし必要もない。寒くないから。
家庭における「こたつ」は火鉢や練炭あたりと同様、過去の遺物となる。子供たちは「かまくら」という言葉は知名の「鎌倉」以外には見当もつかず、雪合戦や雪だるまは教科書に載る写真でしか知らない。
このように、「日本には昔四つの季節があって、それを『四季』と呼んだ」なんて事を大人たちが教える時代が来るかもしれない。うつろいゆくのはやっぱり四季で、「うつろう三季」なんて言われたって、迷子のジェット機が三機いるみたいな感じを受ける。間が抜ける。
寒くないという状況は、逆に夏が滅茶苦茶に暑いという事でもある。夏が稼ぎ時の商売はうはうはとなるが、事実、暑さで職場の生産性は低下し、毎晩が熱帯夜の為に睡眠は不規則になり、エアコンをがんがん稼動させてエネルギーはしこたま消費され、エコ運動なんてまさに焼け石に水状態だ。
「小さな事からこつこつと」、一人一人が少しづつでも温暖化ストップに向けた取り組みをせにゃならんのだなとは思う。
思うけれども、例えば毎日きちんと風呂に入らないと「頭が痒くなる」し「身体が臭う」し「人は嫌がる」しで、「このまま『不潔放置を続ける』ととんでもない事になる」と言われれば進んで風呂に入るだろう。第一風呂に入れば精神衛生上よろしいわけで、目に見えてさっぱりと清潔になった事が一目瞭然だ。自分自身気持ちがよい。
だが、温暖化に対する取り組みは手間がかかる上、やった事が果たしてどれほどの効果があるのか全く目に見えない。更に、せっせとそういう取り組みをする横で車のエンジンをかけたままコンビニに入る客を見たり、目前の店のゴミ箱に家庭ゴミを大量に見つけたりしたらゲンナリするというものだ。そうすると、何で自分だけがこんな風に懸命にしこしこやらにゃならんの?という事で、こつこつエコロジーにも嫌気が差すのだ。
日本は「空前の好景気という名の格差社会」に陥っており、政府や自治体は借金まみれなんだが、ここはひとつやっぱり「金でも出すしかなかんべ?」と考える。例えば、自販機横に設置してある装置に空き缶を投入すれば、何本以上とかで景品が出るだの、そういうエコ自販機が存在すると聞く。うちで購読している新聞は販売店が月に一度、「古紙回収」と言ってまとめて持っていってくれるが、一時期よりも古紙の値段が上がっているのやもしれん。顧客サービスの一環であると同時に、何がしかの金になるんじゃないだろうか?だから一般人でもゴミを金に換える手段があれば、それももっと高くだが、協力するだろうし無駄にはしないんではと思うのだが。
まぁ、めんどくさがったり金を求めたりする時点で「まじめにやれ!」と怒られそうだが。