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父が下痢をやらかしていた当初は、「あぁ、食べ過ぎたんだ」とか「あれとあれがたぶんいけなかったんだ」とか、何かしら結果が出たあとでの原因に思い当たるふしが見つかっていた。おかゆならまず失敗がなかったから、毎度毎度の食事はおかゆに落ち着くのだったが、それでは当然父も飽きる。で、体調のいい時は図に乗って色んなものに手を出すのだが、結果、やらかしてしまうのだ。そうなると、父も家族に迷惑をかけると思ってかおかゆを我慢して食べることが多くなった。父の世話を主にしていた姉は「気にせんで食べてよかって。骨は拾ってやるけん!」などとエールを送っていたのだが、時間の経過と共に、本人にも食欲が次第になくなってきていた。それどころか、何にも口にせずとも吐き気をもよおし、胃液を吐く状態になっていた。

父の肝臓はほとんどその機能を果たさなくなっていて、その臓器の周辺にある、例えば食道にしてからが炎症を起こしていて、顔には明らかな黄疸が出ていて、声はか細く、腹は腹水で今にも破裂せんばかりだった。母によると、夜寝床で苦しむようになったという。うんうん唸っていた。一日中寝ているようになり、起きたときは胃液をげえげえ吐くか、または下痢だった。3月に入り、そういう父の状態を見るにつけ、自宅療養が限界に来ているのではないかと家族は考え始めた。下痢をするなら好きなだけさせたらよい。しかし、苦悶の表情を浮かべて苦しむのを見ると、やはり病院にいるべきではないかと思うのだ。ひとしきり苦しんで、それを耐えぬいたらあとは楽になるらしく本人は「ほっとけ」と言うのだが、家族としてはそれにも限界があるのだった。やはり、痛みを緩和するような、何かしらの処置をしてもらいたいのだ。


しかし、年末に入っていた佐世保市のS病院には「絶対行かんっ!」と言う。大きな病院だし、敢えていうなら「病気は診るが患者は見ない」という印象を抱いているのだった。「あそこにまた入るくらいなら死んだ方がましだ」そうだ。かかりつけの地元の医院は看護体制が整っていなくて、目を離せない患者の受け入れは無理との事だった。その先生に相談した結果、郡部ではそこそこの規模を持つH中央病院ならどうかとなり、父もそれをとうとう受け入れた。3月の下旬の事だった。


入院する朝、助手席に乗る父に手を貸そうとすると、「心配ないない」と払いのけ、父はゆっくりゆっくり車に乗り込んだ。自分で外出着に着替え、帽子をかぶり、靴箱の奥から革靴を取り出して来て精一杯めかしこんで。

病院に向かう車中では、何も心配いらないのに道順についてあれこれうるさかった。ただ、あまりに声が小さくて聞き取れず、「心配ないから」と僕は繰り返した。もう我が家に帰ってくる事はないだろうなと、僕も母も、そして父自身も思っていた。


続く