コンビニで買い物をしてレジへ行って、余分だと知りつつ決まって「肉まんひとつ!」と言ってしまう衝動を必死でこらえていたら売り切れて空っぽだったんで内心ほっとしつつ「何だよぉ、肉まん売り切れじゃん!」と悪態をつく僕です。
みなさん、こんばんは。redq(レッドキュー)です。
こんな風に語り掛け口調というのも珍しい(ひょっとして初めてかも?)と自分で思います。僕が住む町は長崎県ですが、この界隈でも肉まんが恋しいような夜の冷え込みがおとずれる季節になりました。風邪などひかぬようご自愛ください。
さて、僕が読者になっている益者三楽
さんのブログに杉村太蔵
議員のブログが紹介されていました。どんな内容かと思ったら・・・全く笑止千万とはこの事です。
大いに笑わかしてもらいました。
なかなかおもしろい題材を提供してくれておりますので、何度かにわたって紹介していくつもりです。で、まずはこれです。
2005年8月29日の記事。タイトルは「スポーツという軸」
『政治がスポーツに介入すべきではない、スポーツも政治に介入すべきではない。確かにそう思う。ただ実際に僕がスポーツを通じての経験では、否応なしにスポーツと政治は関係していると言わざるを得ない。しかし、良い意味で政治がスポーツをサポート出来る時代も来るのではないか。僕にとってのライフワークであるスポーツと政治が結びつく瞬間である。』
この文章を一読して、「あぁ、なるほど」と思いますか?はっきり言って何だか意味が分かりません。彼の言いたい事を、よ~く考えてあげる必要があります。翻訳するしかないようです。
彼はまず、スポーツと政治の相互不介入を肯定しております。そして、自分の経験ではと前置きして「実際には関係している」と言っている。そこで、どう関係しているのかは語らず。次に、逆説の「しかし」を持ってきて「良い意味で・・・時代が来るのではないか」と言っています。これはつまり、自分の経験において見聞き(体験)した政治とスポーツの関係は、不介入の状態にありながら図らずも政治が(スポーツに)悪影響を及ぼすものだったと言ってるわけです。そしてどんな悪影響であったかも語られないままです。彼が時代という言葉を使っていることから、平成の世は言うに及ばず、少なくとも彼の知ってる過去の範囲の時代においてもなお、政治は(スポーツに対して)悪影響しか及ぼしてこなかった事になります。
スポーツと政治がいつ?どう?結びつくのか?それも語られません。そんな瞬間があるのかどうか極めて疑わしいですね。また、政治がスポーツに及ぼすどんな悪影響の事を言っているのか?それすらも判明しません。彼は「ライフワーク」という言葉を使っておりますが、大学を中退して社会人1年生の、26歳の彼が使う言葉ではこれもありません。僕の感覚ですが、ライフワークなんて言葉は社会に出て以来、継続して最低でも10年以上は取り組んでいるテーマに対して使ってよい言葉です。1年坊主が軽軽しく言うものではありません。怒られますよ。
政治がスポーツに悪影響を及ぼしたのなら、それはどんなものだったのか?そしてどんな問題を引き起こしたのか?何故そのような事が起こったと考えているのか?それが起こらないようにするにはどうしたらいいのか?国会議員としてどの部分にどんな働きかけができるのか?そしてその事によって変わるであろうよりよいビジョンは?
一切語られません。
スポーツの意義は僕も大いに認めるところです。オリンピックしかり、ワールドカップしかりです。目標に向かってひた向きに切磋琢磨する選手たちの姿は、見ているものに感動を与え、競技人口の増加を促し、それは国民の健康増進にも当然つながっていきます。
それはいいです。しかし、国民の代表たる国会議員の言葉には責任が伴うのだという意識が全く欠如しています。談話ではないのですから「言葉が足りなかった」では済みません。これは活字となって残っているもので、「つい」という言い訳はできないからです。資料が不足していたとか、文章の推敲不足であれば、きちんと出せる状態になってから出せばよろしい。誰もせっついていないのですから。
スポーツがいいものだという事は、それを経験した人なら誰だって賛同します。彼の文章は、いわば生徒会長に立候補する中学生の演説レベルです。それなら「何言ってるのかわからないけど、熱意はあるんじゃない?」「具体性は一切ないけど、誰だって少しでもよくしようと思ってるんだしね!」ってなもんです。
こんな文章をブログに掲載されたところで、「で、何がおっしゃりたいので?」と質問する以外にはないですね。
今日のところはこれで。
