教習所の続きです。

僕の教習所の先生は、父が教わった先生でもありました。これは、あとで父から聞いた話で、その当時は知りませんでした。その教習所に通うことになった時点で父が電話を入れて「よろしく頼む」と伝えてあったそうで、最初に先生から「お前のオヤジも俺が教えたとぞぉ」と言われた時は「狭い町だし、単なる偶然やろ」くらいに考えていたのです。


昔の人は、免許がひとつあったら大型も何も関係なく乗れたそうです。まだ自動車というものが今ほど普及していなかった時代の話。今や大学全入時代ですが、まだ高校へ行く生徒さえ限られていた時代は、結構無免許で車を乗り回す人がいたそうですね?そんな頃、褒められた話ではありませんが、僕の父は10何年も無免許で!車に乗っていました。さすがに、捕まって色々と不都合が生じる例を聞くに及んで「今更ながらなんだけど」免許を取りに行った由。


きっかけはもうひとつありました。

父は土木工事の現場監督をしていましたが、或る日の早朝、現場の山の中でただならぬ音を聞きました。

「なんだなんだ?」

・・・車の事故です。土手に突っ込んだらしい。そこから勢い余って山裾から車が半分転落しかかっていました。こりゃぁ大変だと覗き込むと、ドライバーは幸い無事です。最初、警察だ!呼ばなきゃ!とみんなが感じていましたが、オヤジは違ったそうです。どうやらドライバーは無事だし、山の中での話で壊れたものも車のバンパーがへこんでいる程度です。「クルマを引き上げたらそれで終わり」と思ったそうです。当時、オヤジはいわゆるユニック車と言われるクレーン付きの大型車を所有していました。ドライバーに声をかけ、「おい、大丈夫か?引き上げてやろうか?」と。

ドライバーの第1声は「警察は勘弁してくれ!頼む!呼ばんでくれ!」でした。


「教習所の先生が酒酔い運転で山に突っ込んで自爆」ですから、警察を呼びたくないのは当然でしょう。


オヤジは、「どうせ警察呼んだところで、あとからまたクレーン車を手配してヒト騒動だ」と思い、「よしわかった」と自分のユニック車でなんなく車を引き上げ、若き日のその「山口先生」を助けたのです。携帯電話なんて存在しない時代ですしね。


山口青年はその場でオヤジの連絡先を聞いて礼を述べ、逃げるように走り去っていきました。で、後日、お礼の酒を携えてオヤジを尋ね、「実は自分は教習所勤務の身で、職を失うところだった」と話したのです。「何とお礼を言っていいかわからない」と。

オヤジにしてみればそれほどの意識はありませんが、その時に「ちゃんと免許をとるべかな」と思ったそうです。


続きをお楽しみに。