10日ほど前の新聞記事ですが、長崎県に住むものとしては放っておけないもので。
読売新聞、平成17年8月3日付朝刊、海外ニュース欄に興味深い記事がありました。
≪米国の原爆開発で中心的役割を果たした科学者、故ジェームズ・コナント氏の孫娘であるジェネット・コナントさん(46歳)は現在作家として活躍している。彼女は今年5月、「原爆の父」とされる物理学者オッペンハイマーの人物像に迫るノンフィクション「109イースト・パレス」を出版。ロサンゼルス・タイムズなど各誌で話題になった。ジェネットさんはコナントの二男でテレビ局の技術者だったテッド氏(76歳)と、日本美術史研究家のエレンさん(81歳)の長女。母の仕事の関係で10歳から14歳まで東京で過ごしている。
1978年、84歳で死去したコナントはハーバード大学長だった当事、科学者を組織し、原爆を開発したマンハッタン計画を推進した。戦後は政府の要職を歴任。原爆投下への世論の批判を抑えようと、その正当化に奔走したともいわれる。
ジェネットさんによると、祖父は広島への原爆投下について、「日本本土への侵攻を避け戦争を終結させる為、正しい選択だったと信じていた」ただ、日本本土侵攻による自軍の被害を想定して米軍がはじき出した死者数が誇大だったとの指摘もあり、晩年は「以前ほどの強い確信はなかった」という。
祖父は原爆開発に携わったことについて「まったく誇りに思わない」「自分を苦しめる」と口にした。「歳を重ねるほど、心の重荷は大きくなったようだ」とジェネットさんは語る。
長崎への原爆投下については、科学者に事前に知らせなかったとして、軍に疑問を抱いていた。「公式には発言しなかったが、個人的に『投下は不必要だった』『(広島から3日後の投下が)早すぎた』と話していた」という。
原爆の問題や戦争は、家族にも暗い影を落とした。ジェネットさんの両親は祖父の「罪」を追及し、家族で激論が戦わされた。祖母は、夫が戦時中、原爆開発について一切明かさなかったことに不満をもち続けた。ジェネットさんも少女時代に両親と広島、長崎を訪れ、「尊敬する祖父がこんな恐ろしい兵器をつくったのか」とショックを受けた。
しかし、今では祖父の行為を責める気はない。「情報も限られた状況で、戦争を終わらせようと彼らは苦渋の決断をした」と受け止める。
米国では、戦争について知らない人が多いと嘆くジェネットさん。「核兵器の危険性は今も存在する。若い世代に歴史を伝えたくて本を書いた」と力を込めた。≫
これは、当事の科学者らの姿を描いた著書をジェネットさんが出版した際、ニューヨーク州の自宅でインタビューに応じた時のコメントを記事にしたもののようです。
日本とアメリカの間に横たわる歴史と外交、そして日本とアジア諸国の間に横たわる歴史と外交。これに関して語る知識を僕は持ち合わせておりません。ただ、原爆開発者がこのように苦悩したという話を聞くと、戦争に携わる人間の業というものを思わずにはいられません。
環境問題を語る時に、地球をひとつの命とする見方があります。その場合には、肌の色がどうあれ、文化の違いがどうあれ、ここにある命は地球から見れば個々の細胞に過ぎない気がします。ひとつの命の中で争ってどうする?です。
ちょうど、きのう(金曜日)ですが、NHKで瀬尾まいこさんの原作をドラマ化したものが放送されていました。登場人物(石田えり)が山の上から下の景色を見渡してこう言います。
「なんかここに来るとさ、町や家や車なんかがみ~んな小さく見えるじゃない?そしたらさ、苦しかったり悩んだりしてるのがちっぽけに思えるんだよね」(セリフは細部で違うかもしれません。おおよそです)
ちょっと話が脱線しかかってますが、瑣末的な事に捉われると「額に血管浮き立たせて『もうやるっきゃねぇ!』という具合に自分を追い込んでしまう」気がするのです。戦争の発端も突き詰めると・・・それで最後にはあんなむごい爆弾を使うしかなくなってしまった。アメリカはイラクにおいて、まだやっています。
イラスト(長崎平和記念像)は長崎在住のイラストレーター後藤英明さんのHPから頂きました。
へろへろ行こう! には、他にも温かく夢のあるイラストが満載です。
