1974年の時点でアメリカの精神医学者ウィラード・ゲイリンが、「死者からの収穫」という論文で、次のような脳死者の利用法を提唱している。

医学生や研修医の診察の自習用、手術の練習用。

新薬の効果や副作用を試す素材。

癌を発生させたりウイルスを感染させて治療する実験台。

血液成分や移植のための臓器を保存する貯蔵庫。

血液や骨髄や皮膚を恒常的に再生する収穫源。

ホルモンや抗体を製造する工場。

筆者も80年代後半にこの論文を知り、脳死者を丸ごと徹底利用しようとする発想に仰天したものである。また、さらなる脳死者の利用法として、その精子や卵子を用いた人工授精や体外受精、全身を冷凍保存した半永久的な使用、既存の代理母に替わる脳死代理母・・・などが提起される事を予想していた。そして、2001年11月8日に開催された第46回「日本不妊学会」において、竹内一夫杏林大学名誉教授が「脳死出産に思う」という特別講演で、正に脳死者の代理母利用を公言したのである。これらは倫理的な障壁を取り除く事ができれば、いずれも実現可能なはずだ。(中略)

 このような脳死者の多角的利用は、多くの者には非常にグロテスクに感じられることだろう。しかし、臓器移植が世に登場したときには同種の感覚に見舞われた者も多かっただろうが、その感覚は徐々に薄らぎ、近年では移植はむしろ賛美される傾向にあることからすると、かかる拒絶意識が持続する保証はない。しかも、臓器移植を推進した論理は、新たな利用法に対してもそっくり当てはまるのだ。「医学の進歩のため」、「人類の幸福のため」、「救命のため」、「愛他精神」、「いのちの贈り物」、そして、「提供者本人が希望しているのだから他人が口出しすることはできない」という自己決定権の論理などである。逆に言うなら、脳死者の医学利用で臓器移植だけが認められ、他のものが認められない積極的な理由はたぶん見つからないだろう。


ここ↑まで、小松美彦氏の著書「脳死・臓器移植の本当の話」からの引用です。

若干の補足を致します。①については、現在は死体を使って行なわれていますが、それが脳死体となればその有用性は飛躍的に高くなるでしょう。②と③は、今はラットや何かの動物で行なわれているのは皆さんもご存知でしょう。それが人体で可能となれば、開発の成果は加速度的に上がると思われますね。④は倉庫代わりで、⑤と⑥は工場だと言うのですから、全くおぞましいことこのうえなしです。


医学が飛躍的に進歩するという、これだけならば素晴らしい事のようです。しかしながら、果たして受け入れられるでしょうか?脳死状態が徹頭徹尾に解明されて、世界中の100%全ての医者が従来の三兆項死(心停止、呼吸停止、瞳孔散大・固定)と全く変わらない(つまり死んでいる)と主張するのなら、まだあるいは倫理的な問題さえクリアすればとも考えられます。僕だってそう思います。けれども違うのですよ。未だに脳死そのものが未解明で、あくまでも臓器移植のための脳死なのですよ。脳死者の多角的利用としてこういう事が念頭に置かれているというのは、「あなおそろしや!」以外に言葉はありません。


更に、脳死判定基準を作成した竹内一夫杏林大学名誉教授が公言する脳死代理母です。これはつまり、様々な理由や原因で子供が産めないまたは出来ないケースの夫婦の為に、顕微受精(だと思いますが、ちょっとこれについては知識不足です。すみません!)を施した受精卵をその脳死した女性の子宮に入れて、そこで育てるというやり方です。受け入れられますか?僕には絶対に受け入れられません。

何年か前に、プライドの高田伸彦の子供を代理母の米女性が出産しましたよね?国籍の事でもめたらしいですが、これはこれで様々な問題がありはしますが。脳死代理母の場合は、胎児期の保育器代わり?として(生きた人間が)使われるわけですよ。


前の記事で書いたように、脳死判定は極めて曖昧なもので、またドナーカードによる臓器の提供意志もか・な・りいいかげんです。アメリカでは既に脳死状態は必要でなくて、脳死になってなくても臓器が取り出されています。そんな状態を日本は目指して日夜頑張っているそうです。


しつこいとかくどいとか言われそうですが、この問題はまだまだ続きます。


高田伸彦