何をかくそう、僕が中学から高校を通じて、ずっとやってたスポーツが水泳です。

なんつっても、身体が(喘息もちで)弱かった僕に、中1の担任(水泳部顧問)から勧められて始めたのがきっかけです。勧められたというのも、家庭訪問で母がそそのかされて?「先生、よろしくお願いします」なんて頭下げちゃったもんだから・・・。

ちょっと待て!僕は泳げないんだぞ!なのになんで入部させるわけ?冗談じゃない!

誰か助けて!・・・と心の中で叫んではみたものの、その頃の僕にとって、先生とは従うべきもので、決して悪いようにはなさらないという神話じみたものがありました。

で、「先生、僕泳げないからとりあえず(っていつまで?)マネージャーでいいです」と言ったら「おう、わかった」と先生は心よく応じてくれました。


しかし、先生の中にはある作戦があったのだと思います。

マネージャーとして、一応練習に毎日顔を出すようになり、タイムを取ったり、ビート板の片付けをしたりすっかり溶け込んでいた或る日の事、「おーい、プールに入れぇ~」って何とはなしに水に入らされ、「泳いでみろ」と直接の指導が始まったのでした。

全く泳げないわけではありませんが、要は息継ぎができない僕でした。

腕をこうだ足がどうだと指導されてるうちに、「あぁこうやれば息が出来るなぁ」というこつをつかんだ僕は、何とか25メートルを泳げるようになったのでした。それまでは、たて(25メートル)ではなく、横(たぶん12メートルくらい?)を息継ぎ無しで泳ぎきるのが精一杯だったんです。

バッしゃんバッしゃん、ゼェー(息継ぎ)。バッしゃんバッしゃん・・・ンハァー(息継ぎ)。ごぼごぼ・・・ゼハァーってなもんで、はたから見れば「泳ぎながらも溺れてる」か「溺れつつ進んでは、いる」状態でした。

その日から、僕は(マネージャーのはずなんだが)先輩たち(の後ろ)に混じって、へろへろ泳ぐようになりました。もちろん、25メートルを泳ぐのがやっとのヤツが大会の選手に選ばれるわけはありません。中学校時代は、「マネージャー的練習生」としてその活動を終えたのでした。


高校に入って、僕は特に運動部に入る気はありませんでした。

あぁ、水泳?そん~な、部活動としてやるようなレベルでないし、だいいち水泳部がなかったのですよ。あ~やれやれ。

ところが・・・。


「お前、なんも入っとらんやろ?水泳部に入ろうで」と友人が言って来たのです。

「なんやそれ?水泳部なんかなかぞ?」

「うんにゃ。同好会の出来たとさ」

「え~?同好会~?」

「なんか入っとかんば、色々うるさかって。よかけん、入ろうで。同好会やけん、半分は遊びに決まっとるさ」

何やら、2年生の女子に中学で鳴らしたらしい速い人がいて、これまでは水泳経験のある先生に個人的に指導されていたらしく、今年に入って一定人数の部員が集まれば同好会として認められるというのです。そうなればその人は大会への出場も可能となるわけで、「半分は遊び」の言葉につられて入部してしまいました。


・・・というところで、今日は止めておきます。続きは次回に。