家というものがもつ求心力が衰える時、そこから逃れようとする家出の遠心力も失われるらしい。脚本家の小山内美江子さんが随筆集「家出」(作品社)に書いている◆「とび出すにも、はじめから捨てるべき家屋敷がなければサマにもならず、帰宅しなくても無断外泊だろうぐらいにしか思わない家族の絆(きずな)の稀薄(きはく)さは、どれほど“家出”という言葉の魅力をとぼしいものにしているか分からない」と◆ひとつの事件で世相は語れない。事件の解明もこれからである。それは承知しつつも、家の求心力と家出の遠心力、ふたつの力が衰微した現代社会の写し絵を見ているような苦い思いが胸を去らない◆東京・板橋で両親を殺害した15歳の少年は警察の取り調べに、父親への不満と憎悪を口にしている。日ごろは「食事の準備や掃除にこき使われ」、犯行の前日には、「お前は頭が悪いと言われた」という◆昔ならばまずは耐え忍び、やがて反発し、口論し、いよいよ追いつめられた最後の手段は家出であったろう。両親の殺害にたどり着いた少年の心の回路は知るべくもない◆40年ほど前、寺山修司が「家出のすすめ」を書いたとき、「青少年に家出を勧めるとは」と眉根(まゆね)を寄せる人もいた。「凶行に走るよりも、家出をなさい」と、いまは真顔で勧めねばならない。家族とは何だろう。 

2005年6月24日付 読売新聞朝刊のコラムを借用しました。

 

 15歳の事件が続発している。テレビマスコミはこぞって『15歳が何故?』と背景を探り、彼らが生まれた時代を振りかえり、その親の世代(過去)をほじくり始める。コラムにあるように、その「少年の心の回路は知るべくもない」し、寺山修司が言うような「家出」の勇気もなかったのだろう。

 15年前と現在とを比較した時に、明らかに違う事がひとつある。

 情報量とそのスピード。インターネットと携帯。

するとやはりそれらが犯罪を生んだのか?個人情報を悪用した詐欺の横行。フィッシング、ワンクリック、架空請求・・・。だが、それはひとつの側面に過ぎない。

 少年は電熱器をタイマーに接続して見事な時限発火装置を作り上げている。また先日の、光高校での爆破事件を起こした生徒も、市販の花火を使っていとも簡単に手榴弾を完成させた。あの、アインシュタインの一般相対性理論は世界を驚嘆させたが、それは同時に原子爆弾をも生んだ。

問われるのはモラルなのだ。生かすも殺すも、それを使う誰かの手の中。

 

星になった「尾崎豊」が歌っていた。

超高層ビルの上の空届かない夢をみてる

やりばのない気持ちの扉破りたい

・・・心のひとつも解りあえない大人達をにらむ

 ・・・とにかくもう学校や家には帰りたくない

 ・・・自分の存在が何なのかさえ解らず震えている 15の夜

そして彼は「盗んだバイクで走り出し、誰にも縛られたくないと自由を求め続け」ながらも、自分というものを「なんてちっぽけでなんて意味のないなんて無力な」と自覚し、「行き先も解らぬまま夜に逃げ込んだ」のだ。

 

 誰しも過去に一度は「家出しちゃおうかな・・・」と思った経験があって、実行したかは別にして、それが「そういえば15歳だった」と答える確率は70%を超えるんではないか。ちなみに、僕が家出したのは22歳のときだ。かなりオクテ。

 

 もう子供じゃないけどまだ大人でもない。そんな振幅の激しい危うい年代。

 

「15の夜」の詩の中にある「冷たい風 冷えた身体 ひと恋しくて」という短いつぶやき。

解決とは言わないまでも、何らかの答えがありそうな気がする。板橋爆破

アーティスト: 尾崎豊
タイトル: 十七歳の地図