あの災厄から12年。干支が一周する歳月が経過しました。今日の日は皆さんそれぞれの思いが交錯する日です。
宮城県に住む私にとって、あの3.11の景色は今も鮮明に思いだされます。あの日は曇り空でした。前日の歯科での治療で痛い思いをし、その日は朝から気持ちが憂鬱でした。昼食をマックで食べましたが、コーヒーをコートにこぼしてしまい、更に気分が滅入ってしまいました。その後買い物を済ませて14時過ぎ頃に家に帰宅。またコーヒーを飲みながらテレビを観たりしてのんびりと過ごしておりました。
そして14時46分…ドカンと凄い揺れを感じ、直感的にこれはデカイと感じ、とっさに庭に出ました。激しい揺れが長く続き、体感的には5分は揺れていたような感覚でした。母屋に目をやると、まるで模型が揺れるように左右に波打ち、築年数の古い我が家はもうダメだと思いました。
体勢を低くしながら何とか収まってくれと念じつつ長い揺れに耐えました。母屋も何とか無事なようです。少しして両親が帰宅して来ました。すぐさまカーラジオに耳を傾け最初に耳に入った情報が、宮城北部震度7…ただ事ではない事態に身体が震えました。
当然我が家も停電しましたが、農家ですので自家発電機を備えておりました。情報を得ようとテレビに繋ぎ、テレビを点けました。沿岸部に大津波警報…今まで見たこともない警報に唖然としつつNHKの画面を見続けていると、衝撃的な映像が流れてきました。真っ黒な津波が家屋やビニールハウス等をなぎ倒しながらもの凄い速さで走行中の車両に迫ってきているのです…あまりの戦慄でこれが本当に僅か数十キロ先で起こっている出来事なのか夢と現実の区別がつかないような感じになりました。自分も両親も一言も発する事が出来ず、ただただ何とか逃げてくれと心の中で念ずる事しかできませんでした。
小雪も舞ってきて気温も下がってきました。自家発電機のお陰で暖をとる事が出来た私は恵まれていたのでしょう。まだ情報が錯綜していて、テレビが映し出した炎に包まれた気仙沼の様子やラジオから流れてきた仙台市荒浜で200~300の遺体発見との報道(これは後に事実と異なる事が分かっています)を聞いた時は、本当に東北、日本はどうなってしまうのかとてつもない不安に襲われました。
余震も夜通し続き、その日は一睡もできなかったと思います。空には無数の星が輝き、救助へ向かうヘリの音が響き、何とかお願いしますと願う事しかできない無力な自分がいただけでした。
(その2へ続きます)