国語は好きな科目だったのですが、興味が全くなかったのは算数/数学でした。

苦手だったし、結構早い時期で、数字の世界を読み解く鍵が自分には手に入らない、と気がついていました。

きっかけは中学1年生の半ば、人並みに授業も真面目に受け、宿題も頑張りテスト勉強も頑張ったのに、テストで悪い点を取ったことがありました。宿題などには厳しかった母に、どうしてこんな点を!と怒られ、挙げ句の果てに、どういった成り行きか掃除機で殴られ、教科書をズタズタにされたのです。親に殴られたのは、この時一度だけ。殴られたショックよりも、ズタズタになった教科書を一枚一枚貼り合わせて修復する作業が地味に堪えました。
(おそらく母は舅との同居でストレスがたまって逆上した、と今なら思えます)

一年終わるまで、そのズタズタの教科書を開くたびに、心がすっと冷えていく、そんな気持ちだったのを覚えています。それ以来数学は赤点スレスレばっかり。授業中も隠れて漫画読んだり他のことをしたり。なんとか高校に受かってからは、大学受験に必要ないことが分かっていたので、さらにダメダメでした。その当時の先生、ごめんなさい。。

でもね、頑張ってもできない人に、どうしてできないの?どうして分からないの?と聞いたって、仕方がないのに。
それよりもあの時の自分が「どこが分からないのだと思う?」「どうやったら助けられる?」と言ってもらえていたら、
私はいつか鍵を見つけられたのかもしれないと思うのです。

大人になって就職して、文系の職でも当然ながら数字も仕事に関係して出てくるわけで、私は、「数字が分からない」という劣等感に苛まされました。
どういうことかというと、100より大きい数が複数あった場合、どちらが大きいか、ナンバーだけでは分からないのです。
35000と3500と書けば見て理解できますが、口頭では全く大きさが分からない。
仕事の場では、円/ポンド換算などもよくあったので、単位が違ってなお混乱。。
結局私なりに見つけ出したのは、仕事上の数字は全てメール等で再確認するという方法でした。
同僚には、おそらくDyscalculia(計算障害)だとカミングアウトして、確認業務をサポートしてもらったこともあります。

100以上の数が分からないんだ、と自分で認めて周囲にも話すのは、初めは勇気のいることでしたが、はじめの一歩を踏み出した後は、気持ちいいくらい晴れ晴れとした気分になりました。

できないことは、私のせいじゃない。だから恥ずかしいことではないし、自分が気が楽になるんだったらどんどん言えばいい。そして助けを求めればいい。

そうやっと思えたことで、自分を認めてあげられるようになりました。

こんな私なので、夫のADHDの特性は全く他人事でないです。あれ?わたしはいろんな意味で月並みの普通人だと思ってたけれど、普通ってなんだっけ???と逆に自問することが多くなりました。
もしかしたら、私にも傾向があるのかもしれない。だけど、夫と私の違いは、はっきりしていて、夫はその特性のために「なにかを失っている」と感じながらこれまで生きてきた、と感じ、常に生き辛さと戦っています。私は、色々あったけれど、生き辛さはあまり感じていない。むしろ開き直って「そんなもの、気に病んでたまるか!」って思いながら生きてる、だから傾向があろうがなかろうが、それに左右されない強さ(自己肯定)があるのだとおもいます。

夫が仕事のシステムと合わずに、仕事先で迷惑をかけたり、時間にルーズでやる気がない人だというレッテルを貼られたりした時、

「できないものは仕方がない。身体障害者だったら会社は特殊なニーズに対応するのだから、発達障害だって対応を求めていいと思う。ADHDは、あなたの意思に関係なく生まれつきの特性だから、あなたのせいじゃない。」

と言い切れたのも、心の隅に自分の数字との関わりがあったからです。夫は、後々この時の「あなたのせいじゃない」という言葉が、ストンと腑に落ちてびっくりするくらい気がラクになったと言ってくれました。

今では、家事協力/子育て協力をスコーンと忘れた時に「でも、あの時、できないのはあなたのせいじゃないから」って言ったのは君だ。だからそんなに怒るなよーって冗談半分本気半分で言い訳に使うくらいです。
ずるい、けれど、それが本人なりの自己否定ループ行きから自分を守る方法だから、このセリフが出たら、それ以上追い詰めないように怒りを流すよう心がけるようになりました。