Redの未来は自分で創る -20ページ目

Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。

居酒屋①
※巨大な三線のオブジェが特徴のとぅばらーま


昼間突然の電話。


「お~red、元気?。ところで今沖縄来てんだけど飯くわね?」。

まあ、毎度の事だがいつも突然やってくる「東京のクマさん(仮名)」である。

「おお、いいよ~。でいつにする?」

「6時半くらいに国際通りの○○○ホテルの来てよ、そこ泊まってっから」



と言う事で、他の用事をちゃっちゃと済ませ久々の国際通りへ。

沖縄に戻って来て初?、暫く来ない間に大分様子が変わっていた。

むかし、クラブが入っていた結構デカい建物にはいつの間にか

ドンキホーテが3フロアに渡って入居中。



いつの間にかローソンが出来ている(ちなみに沖縄にセブンはまだない)。




軌跡の1マイルはまたまた奇跡的な変貌を遂げていた、、、。


ホテルの駐車場に到着すると、周りは「わ」ナンバーのレンタカーだらけ。


「そういえばそろそろGWだったなぁ」と独り言を呟きながら車を止める。



駐車場からロビーへは外廊下を通ってすぐ。


左手には、既に鯉のぼりが気持ちよさそうに泳ぐ姿がちらほら。

鯉のぼり

ホテル自体駅と直結し便利な場所。

かつて見知った国際通りであったが、以前この場所に何があったか

思い出そうと試みるが思い出せない(記憶力の低下か?)。



部屋から降りて来たクマさんと落ち合い近所の居酒屋へGO!。



国際通り沿いにある「とぅばらーま」。

※ちなみに「とぅばらーま」とは八重山地方の民謡のこと。



入るなりいきなり度肝を抜かれる。

居酒屋②

居酒屋の中に沖縄の昔の民家を再現した感じの店内。



そう言えば昔こんな家あったなぁと懐かしささえ覚える空間である。


居酒屋③




席に着くと若いお兄さんが

「あ、どうもいらっしゃいませ」と声を掛けて来た。

クマさん何度か来て顔見知りの様子。



取り敢えず、飲み物を注文。



軽く談笑をしていると、ものの数分もたたないうちに飲み物が出て来た。



持ってきたお姉さんを見てクマさんが一言。


「お姉さんどこの国の人?」


「ベトナムデ~ス」


「へー、日本語うまいね~」


「アリガトウゴザイマ~シュ」


てな会話が繰り広げられる。



「ここ結構色んな国の人が働いてて面白いんだよなー」とのこと。



乾杯をしたのち、料理を注文しようと、ボタンをプチっと。



お兄さんがやって来た。



「ここ結構色んな国の人がいるよね、何か国くらいいるの?」


「5~6か国くらいいますかねぇ」


「へー、すごいねー」


と言う他愛もない会話の後に料理を注文。


「グルクン唐揚げ、刺盛り、ヒラヤーチー、ソウミンチャンプルー


、、、etcをお願い」


「はい、かしこまりました」


と言う事で待つこと10分足らず。




「オマタセ シマシタ~」とさっきと違う女の子が料理を持ってくる。


クマさんすかさず「どこの国の人?」


「インドネシアデス」


「へー、日本語うまいねー」とおだてる。


「イヤー、マダマダデシュヨ」と言いつつニコニコ顔。




暫くして、飲み物を追加しようとボタンを「ポチッ」。


また、違うお姉さんがやって来た。


「黒糖梅酒☆△×ちょーだい」


「コクトウ☆×○△????」


「分からない?ここに書いてあるけど」


「ソーデスカ?」


「お姉さんどこの国の人?」


「日本人ですけど」


「日本語下手だなぁ~」

※(大爆笑)


てな感じで約4時間。


沖縄料理を堪能しつつ、


お互いの近況から始まり、ビットコイン、海外投資、ネットビジネスの現状、


合気道の話しまで多岐に渡り楽しいひと時を過ごす。



結論としては、

沖縄はアメリカだけじゃなくて、東南アジアの国々からも多くの

人達が入り混じり、本当の意味でのチャンプルー文化を築きつつ

あると言うこと。こうやって民間交流の輪が広がって行くんだなぁ。


ってクマさん関係ないやん!。

クマさんどこいったん?。

テレビ

あなたのご家庭には「テレビ」なるものがありますか?。

1950年代後半、テレビは「三種の神器」と呼ばれ豊かな国民生活を象徴する
製品としてもてはやされていた。

その後、ほぼ全ての家庭にテレビが行きわたり、需要の頭打ちを感じたメーカー
は、台所や寝室、果ては風呂場で見れるテレビと言うコンセプトを打ち出し、
一家に2台、3台などと言う家庭も増えていった。

(我が家でもそうでした)。

2000年頃から顕著になった国民のテレビ離れ、及び出荷台数の減少も、
2012年4月の地上デジタル波への全面移行により再び盛り返し、その後
反動で再び減少へ。

最近の総務省の調査によると、国民の平均テレビ視聴時間は、
平日で3.5時間、休日で4時間だそうだ。

これは全く見ない人も合わせた平均なので、見ている人だけを対象にすると
もっと長時間になるのだろう。

(うちの親父も暇があれば一日中テレビを見ていたりするし)

実は、何を隠そう私も以前はテレビのヘビーユーザーだった。

仕事から遅く帰り、シャワーを浴びて遅い食事をとりながらテレビを見る(WBS等)。
気が付けば1時、2時。それから休むと言う毎日を繰り返していた。

テレビを見ながら何か考えていたかと言うと、特に何も考えていない。
食べた料理の味さえ覚えていない。

つまり、テレビを見ている時間と言うものは、自分にとって脳の思考は停止し
味覚までもマヒした時間となっていたのだ。

しかし、見ている本人はそんな事は微塵も分かっていない。

なにせ、無意識にテレビのスイッチを入れて見ているのだから。

その後、あらゆる本を読み、ネット上で色々な事を調べて行くうちに
テレビの弊害について考えるようになっていった。

以前の職場でテレビを良く見ている人達に色々と話しを聞いて見たが、
彼らはテレビを良く見る変わりに本は殆ど読んでいない事が分かった。

テレビはスイッチを押せばすぐに視聴出来るのに対し、本は自分で選び
購入し、ページをめくって読むなど能動的に行動しなければ情報が得られない
と言う点から敬遠されがちになっていた。


これらの事を通して感じたことは、

・テレビを見続けると脳の思考が低下する

※配信される情報を無条件に受け入れてしまう

・テレビを見続ける事によって考え方や行動が受動的になる

と言う事だった。


これは情報を発信する側にとっては都合のよいものである。


自分達が届けたい情報を一方的に「無思考状態」の人達へ
届けることが出来るのだから。

よく言えば「洗脳」、悪く言えば「マインドコントロール」状態である。

(え?どっちも悪いじゃないかって。う~ん、確かにそうだ)


ただし、勘違いして欲しくないのは、これはテレビを作っているメーカー
の問題ではなく、コンテンツを作っている○通や博○堂、テレビ局などの
問題だと言うこと。


インターネットの普及に伴い、その事に気付いた人達(私も含め)のテレビ
離れも加速しつつある。


今や、1億総情報配信者時代になりつつある。


これまでマスメディアに牛耳られていた情報発信の権限を多くの人達
が持つようになって来た。それもほぼお金を掛けずにである。

しかし、それに伴い受け手側も多くのチャネルから入って来る様々な
情報を正しく選択して受け取る力(メディアリテラシー)が必要になって来た。

それと同時に、情報発信者を見分ける目を養うと言う事も必要になって来た。


その人が何を言わんとしているのか?。

どう言う意図があって、そういう発言をしているのか?。


と言う事を見分ける力が必要と言う事だ。


その為には、先ず自分自身の「価値観」を明確にしておく必要がある。


価値観が明確でない人間は、

「お、この人の言う事はスゴイ、良しこっちに行くぞ」

と言ったかと思うと

「あれ、この人の言う事も一利あるな。やっぱりこっちかな」

と行ったり来たりを繰り返す「浮き草」状態になってしまう。


価値観の明確な人間は、

「この人の言っている前半部分は私の価値観に一致している。
でも、後半の部分は合わないから、前半部分だけ取り入れて見よう」

「この人、言ってる事はスゴイけど、やってることがデタラメだから
この人の話しを真に受けるのは止めよう」

と言う事になり、他者の意見を自分の行動の補完材料として捉える事
が出来るのだ。




テレビを全く見るなとは言わない。


ただ、そこには情報を発信する側の明確な意図があって発信されている
と言う事を知って、見るべきだと言う事だ。


我が家でも子供達がテレビを見ようとすると、何でテレビが見たいの?、
何時まで見るの?と質問するようにしている。

そうする事によって、テレビを見る事の意味を考えさせ、ダラダラと
無防備な状態でテレビを見させるのを防ごうと言う試みである。


私の友人の家では、引っ越しを契機に「テレビを捨てた」との事だ。

始めは家族の猛反対があったようだが、今ではテレビのない生活が
当たり前になっているそうだ。

ネットがなかった時代は、テレビやラジオ、新聞がほぼ全ての情報ソース
であった。

しかし、今は違う。

これを機に、テレビの存在意義、情報を受け取る側の私自身の価値観
と言う物を考えて見てはどうだろうか?。

東南アジア① 東南アジア②

日本の外務省が香港の調査会社に依頼し、

ASEAN7か国に行った世論調査によると、

もっとも信頼出来る国に「日本」と

答えた割合が一番高く33%だったそうだ。

二位がアメリカで16%、中国5%、韓国2%と続いたとのこと。


また、ASEAN諸国にとって、現在重要なパートナーはどこか?

と言う質問に対しては、

1位が日本の65%で、

2位中国の48%、

3位アメリカの47%

を大きく上回っている。


先の戦争が終わって70年が過ぎようとしている。


戦後の日本の歩みを見て見ると、アメリカを中心とした技術先進国

から車や家電製品を輸入し、それを日本人の家庭向けにアレンジし販売。

あるいは、日本人のキメ細やかさを発揮し、使い易く壊れにくい製品と言う

物を次々に生み出していった。


そして、造船を筆頭に自動車、電化製品、精密機械に至るまで

ありとあらゆる製品をアメリカやヨーロッパ、そしてアジア諸国へと

輸出していった。


当初アメリカにおいては、「安かろう悪かろう」と言われていた日本製品も

たゆまぬ品質改善、技術革新を積み重ねる事により次第に世界に認め

られるようになっていった。


それに伴い世界各地でどういう現象が起きて来たかと言うと

「日本製品は使い易い」、「日本製品は故障に強い」、

「メイドインジャパンは信頼できる」など

人が行って語らずとも製品が日本と言う「国」の存在を

アピールしてくれるようになった。

メイドインジャパンの製品は「物言わぬ外交官」の役目を担ってきたのだ。


こうして「メイドインジャパン」と言うブランドが確立して行く事になる。


日本に遅れること、数十年。

○国や○国と言う国々が経済力を強め海外への輸出を積極的に行う

ようになってきた。


しかし、彼らのやり方は日本のそれとは根本的に異なっていた。

日本が海外から輸入した製品を分析し更に付加価値を付けて独自製品

に成長させ輸出したのに対し、彼らは既にブランドとして確立した日本の

ネームバリューを利用し、ちょっと名前を変え(SONDA、SANYなど)

低品質な商品を格安な値段で売りさばき市場を席巻していったのだ。


全てがそういう製品だとは言う事は出来ないが目に付くのは事実である。


いくら安いとは言えこういう製品が人々に長く受け入れられるはずもなく

当然、ブランドを確立する事も難しいだろう。

※ごく一部例外は存在するが。


これは私達がなんらかの商品やサービスを提供する場合にもあてはまる

事である。


先行する会社や人達のネームバリューを使って一時的に有名になったり

売上が上がったりする事はあるだろう。

しかし、その後は自身の中身が問われる事になる。

つまり自分自身が成長し、ブランドを確立出来なければ長く生き残っていくことは

難しいと言うことだ。


それではどうやって自分自身をブランディングしていくのか。


「ありのままの自分自身をさらけ出して行く」と言うのも一つの手であろう。

しかし、あなたが毎日ブログに日記を書いたとして一体どれだけの人が

共感してファンになってくれるだろうか?。

勿論、あなたがある「特殊」な任務に就いており、その事を洗いざらい

ぶちまける「ぶっちゃけ」ブログなら話しは別だが、、(--;。


また、もしあなたが既に何らかのビジネスで成功しているとすれば

あなたのありのままの姿を書く事は後に続く人達の参考となるかも知れない。


しかし、未だ成功したと声を大にして言えない状態にある人にとっては、

それは難しいことだろう。


だとすればどうすれば良いのか?。


「こうありたい」と思う自分自身の理想を投影した姿を掲げるのも一つの

方法である。ブランディングした自分自身に近づく事によって自分も成長

して行けるからだ。


今の自分が理想の自分である必要はないのだ。


そうありたいと強く願い、そこに向けて日々前進していればいいのだ。

そのためには自分自身、そして自分自身の行動を客観的に見つめる目

をもつ必要があるだろう。


あのコンビニで何故俺はあの飲み物を買ったのか?。

何故店員に対しあの態度を取ったのか?。

ガソリンを給油する際なぜ「3000円分」と言ったのか?。


私達の行動の中には、無意識に行っている事が余りにも多い。

それらを見直す事によって、行動が変わり、習慣が変わり、

あなたの望む「あなた」と言うブランドが出来上がって行くのかも知れない。


今の自分に対する「自信」なんて必要ない!。

そもそも自信を持つ事に根拠など必要ない!。

勇気を持って「こうなりたい」と行動する事によってやがて根拠のない自信は

揺るぎない確信へと変わって行くのだ。