これがどこだか分かりますか?。
ヒント!
ボクシングでいつも勝っている大学。
そう、正解は「慶應(KO)大学」。
え、サブイ?。
慶応義塾大学の創始者として有名なのが「福沢諭吉」先生。
1858年に開校した「蘭学塾」が起源と言われ、大学自体は1920年設立。
もうすぐ100周年を迎える。
では、福沢諭吉と言えば?
そう、「学問のすゝめ」。
日本人でこの本を知らないと言う人はまずいないだろう。
そして「学問のすゝめ」で誰もが知っている一文と言うのが
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」
ではないだろうか。
つまり、「人は生まれながらにして皆平等だよ」と言う事を言っている訳だ。
では、この続きは?と聞かれると、殆どの人が?と首を傾げるのではないだろうか。
実は、この句には続きがあり、それが正しく福沢諭吉が言いたかった事では
ないかと思われる。
その続きが
「されども今廣く此人間世界を見渡すに かしこき人あり おろかなる人あり
貧しきもあり富めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに
似たるはなんぞや・・・・続く・・・」
と言うものだ。
まあ、大体の意味は分かると思うが、前後の文をつなぎ合わせて今風に言い換えると
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言われている。人は生まれながらに
して貴賤上下の差別はない。けれども今ひろくこの人間世界を見渡してみると、賢い人、
愚かな人、貧しい人、お金を持つ人、身分の高い人、身分の低い人といてそれは様々である。
その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに
由って出来るものなのだ。人は生まれながらにして貴賤上下の別は無いが、学問を勤めて
物事を良く知る物は貴人となり富人となり、無学なる物は貧人となり下人となるのだ」
と言う感じだろうか。
つまりは、人は学び知識を身に付ける事によって成功(成長)していけると言う事だ。
当時の日本は、武士の時代が終わりを告げ、力を中心とした「肉体労働」型社会から
欧米に通ずる「知識」を持つ者が社会の中枢をなす「知識社会」への移行期を迎えて
いた事が良く分かる一文である。
実は、この「知識労働」が中枢を占める社会と言う物は、明治以降つい最近まで
続いていた(まだ続いているのかも知れない)。
学校教育においても、どれだけの知識を身に付けたかによって優劣がつく時代。
社会においても、良い大学を出てどれだけ多くの知識を持っているのかが問われる
社会。知的労働者いわゆるホワイトカラーが持てはやされる社会だ。
しかし、ここ20年の社会の変化を見ると、その状況が大きく変わりつつある
時代を迎えている事に気付く。
コンピューターの普及及びその性能の急激な発達によって、社会全体が
コンピューターを中心とした社会構造に組み替えられつつあるのだ。
コンピューターと言う単体での存在と言うよりも、インターネットを使った
ネットワーク社会と言った方がいいだろう。
どれだけの知識を持っているかよりも、どれだけ「有益な情報」を扱えるかが
重要視される時代を迎えたのだ。
欧米先進諸国においては、情報の価値と言う物は古くから認識されていた。
しかし、日本においては「国の安全に関わる情報」においてもそれほど大きな
価値を見いだせないでいた。
ところが最近になり日本社会においても国家レベルのみならず、民間の会社レベル
そして個人レベルにおいても情報の重要性、価値と言う物が認識されるように
なり、情報を扱う者への認識も変わりつつある。
遅まきながら「情報労働」時代が幕を明けたと言ってもいいだろう。
人間の記憶出来る情報量はたかが知れている。
情報労働者の役目は、多くの情報を覚える事ではなく、世の中にあまた拡散して
いる情報の中から相手にとって有益な情報をいかに素早く適切な方法で提供できるか
と言う事だ。
故に多くの情報や知識を持っている必要はない、それを見つける能力に長けていれ
ばいいのだ。
当然、情報を扱う者にはその情報を扱うにふさわしい「倫理観」、そして情報の
洪水に飲み込まれないための自分なりの「価値観」を持つ必要がある。
またその情報を俯瞰的に見れる目も必要になって来るだろう。
情報を発信する者は、その情報を扱うに値する自分になる努力を怠っては
ならないと思う。
情報は扱う者によって、いい意味でも悪い意味でも大きな影響を及ぼすからだ。
つまり、情報は人を幸せにも不幸にもする事が出来ると言う事だ。
また、同じ情報を伝えるにあたっても人によって伝え方が様々である。
文字で伝えた方が分かり易い人、音声の方が伝わり易い人、映像で見せた方が
理解し易い人などだ。
その事を理解し最適な情報伝達手段をチョイスするのも情報発信者の役目である。
自分の発する一言が、そのネットの背後にいる多くの人達に対し、どういう
影響を与えるのかを認識した時、どういう言葉をどういう形で発するべきか
自ずと分かって来るだろう。
しっかりとした「倫理観」と「価値観」。
そして、自分の「倫理観」「価値観」に照らし合わせて正しいと思われる情報を
相手に必要な形で伝える事の出来るスキル。
これらが、これからの「情報労働者(IS)」に求められる能力と言う事になるだろうか。
さてさて、こういう教育を行ってくれるところはどこにあるのだろう?。
