That's IT !備忘録!! -3ページ目

That's IT !備忘録!!

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二十歳の原点 著者 高野悦子

本書は20歳の一大学生の日記形式をなしており、非常にみずみずしい感性で綴られているのが特徴だ。時代は45年前と、大学運動が盛んなころ、著者もその激動の時代を、全身を持って没入していく。大学運動に恋にバイトと、その歳の大学生が味わう、平均的な日常風景を思わせるが、しかし本書に漂うのは、著者の感性に由来する、圧倒的な孤立感や、葛藤や相克的感情に悩まされる様子、混迷な時代に自分を見つけようとする真摯な自己探求心である。著者は非常に自己内省が厳しく、態度は鋭く批判的であり、ややもすると窒息してしまいそうな窮屈感をも感じさせる。真面目であり、完璧主義者で、物事に妥協はしないという感じなのだ。恋人や友人にも、決して甘えたり安易に心を許したりしないような、人に対する乖離意識も感じさせる。独立心が強いというふうに考える向きもできよう。
結果的に著者は20才半ばで自殺という選択をすることになるが、これは失恋の影響もあるだろうが、なにか現状に満たされない、著者の本来的な感性に由来する傾向と、学園運動の時代の激しい気風とが、全くかみ合っていなかったということは考えられる。著者は柔和であり甘えの気持ちが多少なりともあり、どちらかというと平和的な性格である。しかし時代は闘争と暴力が行き交う学園運動の華やかな時代であり、ある種強引に無理に時代の価値観に迎合することを、彼女の本質が選んだと考えられる。ようは時代の価値観に適合あるいは迎合するために、彼女は自分の本来もっている感性や価値観やあるべき態度を見失っており、自己不全状態に陥っていたというふうに考えられるのだ。体制側を批判するときも、彼女なりのアイデンティティ確保のためであろうが、しかし時代の当時の学生の傾向としてもありえた。この手の学生は過激であり暴力的だ。こういう本来ならば自己の本来性と相容れない過激な学生たちと、自己を仮託することによる拡充意識であり、同調感は、その感性をも自己の本来のあり方として正しきもののように、その変容を促すのだ。
また著者は非常に物事を深く探求する、哲学的に物を考える学究の徒でもある。色々と自分を取り巻く現状、それは対人関係、恋愛関係を含めて、あらゆる人が共有するであろう普遍的悩みであるが、悩んで、模索して、よりよい方向へと(物事の)解決策を探ろうとするのだ。若い時期特有の強烈な自意識過剰や、向上心、自己実現への葛藤、いわば彼女は熱烈に生きすぎた、生き急ぎすぎたかもしれない。精神が疲弊してしまい、厭世観が非常に強くなって、自己否定感情が強くなって、いわば生にいたたまれなくなって、結末を急いでしまった。
しかし本書に対する評価はその鮮烈な感性や青年期の多感な感情とともにそれを際立たせる。永遠の人間的葛藤が刻印されおり、ある人はその普遍性に共感の気持ちを抱きつつ、その感性を共有するのだ
23分間の奇跡 著者 ジェームズ・クラベル

舞台は学校で、子どもたちが新しく赴任してくる先生の意のままに、都合のいいように洗脳されていくというお話。
短編であり、さっと読めた。最初は唯一疑り深かった生徒も、先生のマニュアルに則った手法により、徐々に籠絡されていく。もちろん子供というのは、固定観念や分別といった常識ある態度に疎いため、教え方の巧みさにより、洗脳されやすいのは確かである。考え方や思考が柔軟であり、今までと違った思想やイデオロギーに対しても、取り込みやすいのは、その自分が確立していない事による、影響の受けやすさのためである。また人格的な親和性において、人間を信頼する部分があるので、その親和性を満たす限りにおける演出を巧みに満たせれば、容易に手なづけやすいということがいえる。

生きる 著者 小野田寛郎

ルバング島において約30年間も、祖国の為に戦い、生きるために抵抗し続けたラストサムライの履歴である。本書では、ルバング島での経験の他に、著者という人間の人生訓が羅列されたおり、大いに自分を啓発してくれることであろう。さすがに普通の人では味わえない激烈な体験をしてきた人の言うことだけあって、その内容は含蓄はあり、そこらの啓発書よりも参考になる所が多い。常にリアリスティックな現実に立ち向かっていたため、著者の言葉の投げかけは、とても力強く、自分を鼓舞してくれる要素に満ち満ちている。生きるということ言葉自体はある種の観念が内包されているが、本書においては常に生命の伴った、現実的に対処するための具体的な知恵として、「生きる」という言葉が提唱されているのだ。まさに端的かつ実践的であり、余計な肉付けはしていない。私としても大いに参考になるところがあった。印象に残ったところは、正しい判断基準として、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかが、最大に適用され、行為が選択されるということである。

論語の読み方 著者 山本七平

以前に論語の本は読んだことがあったが、内容はほぼ忘れてきていたため、本書を通読した。本書は概要であり、簡略的な紹介であるので、詳細については専門的な本が必要になるが、論語自体の真意については、あらかたわかりやすく紹介されている。前半部に創始者孔子の人生や歴史が述べられており、後半部に論語の教えが述べられているという構成だ。
まず孔子の人生において何を目的に生きてきたかということは、政治において大業を為すためということだ。孔子は現実主義者で、それゆえ人民をうまく統治することに関して、相当の関心を抱いていた。当時は春秋時代の動乱期で、世の中の倫理的価値観やモラルが崩壊状態にあり、法による統制もいわば為政者の恣意に依る所が大きく、全然信頼できないものであった。孔子は小国・魯の出身であり、当時は諸侯の他に有力者3家が互いに権力闘争をしていた。そういう乱世で、自分を確立するには、温故知新に則った、倫理再構築と、人を精緻に分析する観察眼をたくましくすることが、孔子にとって最良の策であったと見ることができる。
本書は、論語についてのあらましをサッと知るには格好の書であり、十分に知的好奇心を満たしてくれるであろう。
アーロン収容所 著者 会田雄次

著者の捕虜体験記で、個人的体験に基づいている。場所はビルマのラングーン(当時)で、英軍において強制労働を課せられた屈辱の日々である。当時は第二次世界大戦後と、まだ大英帝国の威光が、大きく残存していたらしく、英軍の捕虜を扱う際の老獪さや巧みさがところどころ強調されている。
かってイギリスは帝国主義の時代の先端を担い、植民地競争でもフランスやスペイン、オランダ等に対し、全く引けを取らずリードしていたという強烈な自負がある。
本書の秀逸さは、著者の本質を鋭く見通す観察力の確かさにある。イギリス兵の他に、インド人、ビルマ人、そして同胞の日本人に至るまで、つぶさに観察しており、精緻に分析している。これらの人種の違い、あるいは立場の違いは、お互いの緊張関係を生み出すが、どうその種の緊張をやりくりし、生活における利便性を獲得していくかが、捕虜生活の肝であろう。
一番印象に残ったところは、日本人捕虜の中で、英軍の計らいで一定の既存的秩序が確保された後、どういうタイプの人間が捕虜生活において人望や発言権を増していくか、また新たな信頼関係が構築されていくか、その発展性が興味深かった。

人を殺すとはどういうことか 著者 美達大和

著者は殺人者であり、二人殺していると述懐。前半部では、その著者の殺人を侵すまでの軌跡や生い立ち、両親との関係性を語るが、後半部では、刑務所生活における囚人(殺人犯)の人間観察が主である。思ったのは殺人犯にも色々いるなということ。本書は殺人犯をヤクザと堅気に分けているが、その描写ではまだヤクザのほうがその性質において、一本芯が入っているように見受けられる。(最もこれは著者も認めていて、性格のまともなヤクザとしか交流できなかったと述懐)
観察面はまさしく、触れたら刺されるような、鋭い人間観察眼である。内省力を巧みにしていたその過程から、裏側や動機まで内奥を紐解く。多くは犯した刑に全く反省せず、逆にそれを自慢するような、倒錯した論理が刑務所内をはびこっている。自己中心的でありすぎ、自分の欲望ありきの考えであり、被害者の立場に立つ思慮や共感が著しく欠けていると語る。
著者の性質はかなり独特であり、完璧主義、白か黒かの考えしか受け付けないようである。また非常に論理的な思考法に則っており、与えられた情報を分析する能力に長ける。また自分に厳しく、律すことに対する克己意識はなみなみならぬものである。父親の影響が強いと認めており、曲がったことが嫌いという部分もある。
死は「終わり」ではない 著者 山川千秋・穆子

私は癌という病気に興味が有るのは、死までの道程がある程度、目算されることにより、人間の尊厳のあり方が、本人の思想や考え方ありきで、どこまでも試されることである。
本書の著者はある日末期癌を宣告され、当然のようにショックを受け、失意のどん底に至るが、キリスト教の入信により、信仰の確かさを確認することにより、ある部分、精神的救済が果たされている。自分の力はどうにもならないことが、人生には多すぎる。だから信仰も、それを求める人によっては、励みにもなるし助けにもなる。
著者の性質は実直で真面目風であるが、お茶目なところもある。社会的外向であるが、根明というわけでもない。責任意識は強い方で、人の気持ちをよく感じる部分が多い。

自死という生き方 著者 須原一秀

なかなか感銘をうけた本。自死の積極的勧めであり、自死を大いに容認している。著者は哲学者であるが、決して観念的思索にとどまらず、いわば「肉体言語」をもって、生の喜びを甘受してきており、いわば「極み」の領域にも立ち入っている。自死の例として、ソクラテス・伊丹十三・三島由紀夫を挙げており、彼らは老醜に立ち入り、自分の人生を思いのままに、コントロールできなくなることに対する恐れから、いわば「間接的」自殺を計ったと語る。本来の動機は覆い隠されているということで間接的である。しかしこれらの例は、著者の自殺を便宜的に正当化するために、あえてこの3例を持ちだしたと見る。
最後のほうで、著者は今までの人生は友人にも恵まれ、家族にも不満なく、十二分に楽しんできたと語る。もうこれ以上望むこともない。後は老いて死ぬだけ。その哲学的洞察をいかように評価するのが妥当であるか。本書では大いに自死に関しての考察を深めてくれる本であろう。

世界悪女物語 著者 澁澤龍彦

面白いところもあるが、一人ひとりを詳しく検証していないので、内容は概括的だ。世界史を見るには、男の果たした役割を見るのが主であるが、本書のように、女がどのように当時の歴史の趨勢に寄与したか、政治的権力にとりつかれたかを見たりして、歴史を判断したり、悪女個人を判断したりするのも、一面の見方である。印象に残ったのは、アグリッピナ・則天武后・クレオパトラ等である。



地雷を踏んだらサヨウナラ 一ノ瀬泰造、著

熱き血潮がそうさせるのだろうか。地雷をもそうが、戦争の前線へ単身乗り込めるとは、なかなか常人には理解できないことだ。誰だって命の保全は大切だし、一切のリスクは回避したいと思うからだ。しかし著者は、戦場カメラマンとしての数々の経験から、(戦争に対する)耐性ができていたと考えられる。死について、ある種の親和性を感じていたのだ。観念的な考察から、ひどく実際的な現象へと捉え方が変わるのは、当然あるべきことである。
また著者は社交的な面があるが、基本的に一匹狼タイプで、競争心の強い、素朴な面がある人間であったと感じた。夢や目標があるのは、人生の豊かさや彩りについて、一定の凝縮した深みを与えてくれるものである。アンコールワットは著者にとって偉大な目標であった。

砂糖の世界史 川北稔、著
歴史の変遷過程を知る上で、砂糖という「世界商品」から、その過程を紐解く上で、おおいにその啓蒙を刺激させてくれる本である。人物や国家、あるいは事件だけでなく、こういう歴史の捉え方もあるのだと思った。奴隷貿易と砂糖についての緊密な関わりあいがメインの書だが、他の世界商品、茶やチョコレート、コーヒーなどについても言及されている。(やや駆け足であるが)
昨日、日本史集中講義を読了した。井沢元彦著。

なかなか歴史知識に対する欲求が促進されるような、刺激的な本だ。
なぜそうなのか、それは今までの歴史の通説や常識的な見方を一変させてくれるような
言説で語られているからだ。
今まで(日本の)歴史学というのは、実証主義や史料に基づいた定説というのが一般的で、それゆえなかなか仮説というか大胆な推論が立てられにくい分野であった。
またある特定のイデオロギー視点からの事実を無視した定説というのも広く一般的に認められてきた(特に近世)。
それをこの本で著者は歴史学者や歴史教科書に対する違和感から、大胆に自分の歴史認識を推し進めていっている。
また私がこの本を評価するわけは、説得力があり、非常にわかりやすい文体で書かれている点だ。
なるほどと思わせるほどに、著者は歴史を勉強しているのだろう。
逆説の日本史というシリーズも読んでみたいと思わせた。
今日から阪神は巨人との運命をかけたクライマックスシリーズだ。

いよいよ、甲子園3連敗のリベンジをする時!
機は熟したということかもしれない。

個人的には大いに期待している。
巨人は3勝に比べ、我が阪神は4勝、しかも敵地と厳しい条件だが、きっと勝利の凱歌はあがるはずだ。

まずは藤波か!?
頼んだぞ、次期エース!
昨日なにげに空を見た。



左の上空にポツネンと見える赤みがかかった白い点がお月様だ。

そして、、




白い点が消えた!
月消失!

大事件だ!!

ノストラダムスにまさる、人類滅亡の前触れかもしれない・・・。

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頭が禿げてるガジュマル。

逆に、


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ふさふさの椰子。

どうしてこうなった。。


閑散としたモールに何を思う・・・。

ああ、無情・・・。