私には、父方の祖父、母方の祖母が、子どもの頃あった。
祖父は、慶応3年の生まれだったので、江戸時代末期の生まれで、明治、大正、昭和の20年代まで生きた人だ。
子どもは、叔母、父、叔父の三人で、女の子の孫が7人いるが、男の子は私一人だった。
かと言って、私が大切にされた訳でもない。
変人、偏屈、けち、無愛想という評判の良くない人だから、女の子の孫は近寄らない。
そこに出入りするのは私一人で、小学校の五年、六年の夏休みは、まる一ヶ月以上、祖父と二人っきりで生活をした。
母は、
「よう偏屈でケチなじいちゃんと一緒に生活できるねぇ」
と、言って呆れる。
変人と言えば私もそうだから、別に気にならない。
一緒に居ても、会話はほとんどない。
かと言って母のようにうるさくなく、11歳の悪童には居心地がいい。
母だったら、足をあらえ、風呂に入れとうるさいが、祖父は一切言わない。
ただ食事が粗末なのには閉口したが、私がキャンプに行っても同じように食べる物は粗末だから、気にならない。
麦飯は、昼には腐り始めていて鼻をつく。
昼でもそうなのに、夜になると納豆のようにねばねばとして、鼻が曲がるほど臭い。
それを煮湯で二回程洗って、干し鱈の塩魚を千切ってお茶漬けで食べる。
それが私の滞在中、30日以上変わることはなかった。
下痢をしなかったので、私の腹もかなり丈夫だったらしい。
祖父は八反ばかりの米農家をしていて、それを一人でこなしていた。
変人とは言え、働き者だ。
家にラジオという楽しみもなく、日めくりカレンダーがあるだけで、その日付は毎日めくられていた。
祖父の就寝は早い。
夜八時には床に就く。
その方法が変わっている。
部屋には裸電球が一つ点き、窓を開けているので蚊帳の上にも、蛾や昆虫が舞っている。
私は、祖父が床に就く頃、寝そべって日記をつけている。
毎日ではないので、日記はいい加減になり、天気も勝手に晴れとか曇りとか書き込み、絵日記をつけている。
祖父はゲートルを巻き、地下足袋をつけて床に就く。
洗ってはいるが、異様だ。
ただ蚊帳は、あがりかまちに吊られていて、そこに寝て地下足袋の足が出ている。
家には大きな柱時計があって、大きな音で時を告げる。
祖父はぐっすりと寝ているが、時計が四時を打てば、起き上がって仕事に出る。
四時といえば、夏でも真っ暗だ。
その頃、そこら中に蛇がいたが、その中に出て行って、田の草取りをする。
蛇、蛙、たがめかいる中で、素手で草を引き、十時まで仕事をする。
それから牛の餌を刈り、帰って来る。
夏の陽がじりじりと照りつける頃だ。
村の人たちは、その頃から仕事に出て行く。
つづく

