「お父ちゃんには、小遣いあげます」
泊さんも、にっこり笑って頷いた。
私も、競輪場でインスタントラーメンをすすっている人に、旨い豚汁があると場所を教えている。
ホームレスの人も多くは自転車を持っているので、かなり遠くまで出て行く。
はつさんは、週一回からニ回へ増やした。
売れ残ることはない。
泊さんが私のバイクで大量に野菜や豚骨を仕入れて来て、常に豚骨のスープが出来ている。
水代も安くないので、アパートから運んでいる。
握り飯を作るのは、みっちゃんの仕事で、毎日頑張って作っている。
いい人に来てもらった。
私一人では、一回でもうんざりし始めていたので、大助かりだ。
「はつさん、旦那さんって言わないで、柳田って言ってよ」
「柳田さんですか。私の叔母は柳田さんに嫁に行って、同じ名前です」
泊さんが一番役に立たないが、それでも毎日、貝は間に合っていた。
投網があったらと言うので、買った。
それで、色々な魚が手に入った。
泊さんは、魚料理も出来る。
私も汁ばかりでは、飽き始めていた。
それより、刺身とか、ちり鍋を食べたいと思っていた。
日本でしか食べられない春菊や、みつば、うどやエノキなのどを、思う存分食べたかった。
それこそ、日本に来た甲斐がある。
アメリカも、カリフォルニアでは色々な野菜が手に入るが、ノースカロライナの田舎では、限られた野菜か自分で育てたものしかない。
多田さんも年金だけては足りないが、汁を売った分で生活にゆとりが出来た。
石川さんにもゆとりが出来て、もう山積みの空き缶を運ばなくなっていた。
夕方になるとどこからともなく集まって来て、多田さんの小屋の前には、列が出来るほどだ。
はつさんもみっちゃんも慣れて、百人くらい、あっという間に片付けるようになった。
夜遅くまで汁が残っていると、遅れて来た人のために、うどんを加えて満腹になるように心がけていた。
あまりに働いたら嫌になるので、週に2回は休むように、はつさんには言ってある。
70歳になったはつさんは気合が入っていて、見ていても気持ちがいい。
久々の休みに、はつさんはみっちゃんと買い物に行った。
泊さんも久々、パチンコに行ったらしい。
私は、誘わない。
元々、意志の弱い人だから、競馬や競輪は始めない方がいいと思っているからだ。
多摩川の芦も芽を伸ばし始めて、いつの間にか、よしきりが南から戻って来た。
気が付けば、ツバメが川面をかすめていて南の小鳥たちが帰って来たのだ。
同じ頃、北へ帰るつぐみやシロハラが小さな群れを作って河原で餌をついばんでいる。
春のこの頃に、北へ帰る鳥、南からやって来た鳥たちが同じ場所に集まっていた。
泊さんが二日休みだから、船は私一人だ。
久々、船を出して海に出てみた。
夜釣りの灯りの下に、魚が集まってくる。
海老、かに、さより等が寄ってくるので、素早くタモですくった。
その小魚を狙って大きなスズキが寄ってきて、小魚を追い回す。
汐の香りの中で、ゆっくりと時間が過ぎて行く。
そこに幸せを感じていた。
自分がアメリカに帰っても、何とかやっていけるようにしたかった。
泊さん親子、多田さん、石川さんも助かる仕組みが出来つつあった。
ホームレスの生活にゆとりが出来るなんて、あり得ない。
だが、それが可能になってきたのだ。
私も日本に来て、金を使い果たす生活からゆとりが出来で、娘たちに土産を買って帰れるようになった。
つづく



