これまでのストーリー
それがないと、大根やいも類が重い。
2回分買い込んで、次は味噌で味噌汁にした。
皆、大喜びだ。
その味を知り、遠くから持ち帰り用の器を持って来る人もいて、2時間で完売した。
ホームレスでも、体が不自由で働けない人がいる。
働いてない人から、100円でも取るのは気の毒だ。
歩くのさえ不自由だから、長くは生きられないだろう。
ホームレスも、そういう人に同情するが、自分の生活でいっぱいだから面倒は見られない。
橋の下で暮らしているゲンさんというホームレスに、袋に入れた十円硬貨をこっそりと渡した。
「旦那さん、ありがとう」
そう言った。
たいてい初めての人は私を仲間と思っているのに、旦那さんと言ったのは、私をホームレスと思ってないからだろう。
そこで、石川さんに聞いてみた。
「石川さん、ゲンさん、俺に旦那さんって言ったけど、俺のこと仲間と思ってないのかねぇ」
「そりゃそうだよ。船持って、バイク持って、柳田さんをホームレスって思ってる人なんかいないよ」
「じゃあ、俺、仲間に入れてもらえないのかね」
「無理、むり。俺たち、それ位分かるよ」
多田さんは、1万円で中古の自転車を買った。
自転車は足だ。
自転車は、ホームレスの必需品でもある。
古い自転車も売れた。
3千円で売ったが、買ってくれた人が金を持ってないので、月千円ということだ。
ホームレスの仲間で、月払いが出来るのも一寸興味があった。
割に仲間で、信用し合っているということだ。
多田さんの話だと、若いホームレスで同県人らしい。
何度も、汁を食べに来ていたらしい。
私は、80歳。
どこかで、ホームレスの人々に手助けしたいという思いがある。
人のことを心配出来る余裕が、健康である証拠であると思っている。
私は近くを通る時、ゲンさんに握り飯や弁当を持って行ってやった。
ゲンさんは、コンビニまで行くのも大変らしい。
土手の道を、登り降りするのが大変だ。
忙しくしているうちに4ヶ月が近くなり、私はアメリカに帰る用意を始めていた。
船の中にある十円硬貨は、数万円はあるのだろうが、置いていて盗まれるよりも、石川さんと多田さんに、半分ずつ置いて帰ることにした。
目の前から、電車で成田へ行ける。
直通なのだ。
手荷物は少ない。
衣類も捨てて、アメリカで新しく買うつもりだ。
日本で、始めこそ数万円使ったが、粕汁で稼いだので、10万円くらい残っていた。
娘の好物の、ウニとようかんを買った。
それだけでも、十分重い。
幸い、空席待ちでシカゴに間に合った。
長い長い12時間だが、眠っていて、それほど苦にはならなかった。
石川さんと多田さんに手紙を出そうにも、住所がない。
時々、窓を開けて空気を入れ替えてもらうようにして、帰って来た。
ゲンさんは、来年まで生きているだろうか。
帰る前に、住まいの橋の下に行って、数日分の食料を置いてきた。
ゲンさんの目に、ら涙が光っていた。
アメリカの友達も少なくなり、私の周りにいるのは、子ども、孫たちだ。
自分がやっている事が、果たして意義のあることかどうかか疑問だが、生きていくより仕方がない。
ユーチューブで、大木を切り倒すのを見た。
もう2度と見ることのない大木が、次々と山から切り倒されていく。
数百年の歴史が、山から今、消えていくのだ。
それを見ていると、やるせない気持ちになる。
老木は後世の人のために、それを見上げるために残すべきだ。
見続ける気にならず、ユーチューブから離れた。
少し前まで、文明から遠いところにいて、帰ってすぐに老木が切り倒される姿を見て、文明や発明といったことが、果たしていいことをしてくれたのか疑問に思う。
しかし、時の流れは止められない。
80才ホームレスⅢ につづく




