幸せをどこで感じるのかは、人それぞれで違うのだろう。

私の場合は、健康をあげる。

71歳の私は、今日、明日で、その寿命が来るのが知れないが、その日まで、といつも思っている。

私の言う健康とは、ただ病気もせずに生きていくのてはなく、肉体労働をして生きてきた私が、それを続けられるということだ。

夏は庭造りや庭の手入れ、野菜作り、あばら家の修繕、冬は薪割りがある。

薪が割れなくなった時、私の健康という定義は終わる。

今は薪割り機があるが、それは使わない。

自分の力で家の暖房が出来なくなった時、私の男は終わる。

成長の速い木は力がなくても割れるが、そういう木は燃え尽きるのも早くて、大量の薪が必要になる。

風雪に耐え、苦労して育った木は、簡単には割れない。

野中で育った木は、風と闘っているので割れにくいし、節の多い木も割りにくい。

だが、そういう木こそ良質の薪になるのだ。

15ポンドのまさかりに、鉄のパイプの柄がついているので、22、3ポンドはある。

それで、丸太を割る。

日本から来た友人がやってみたが、まさかりを振り上げるのがやっとで、丸太に当たっても跳ね返されてしまう。

1本も割れなかった。

私は牛のように、亀のように、ゆっくりゆっくり割る。

1時間位かけて、1週間分位の薪を割る。

かしの木やクルミの木以外の木は、燃え尽きるのが速い。

だが、速く燃える木がないと、外から帰って来たときに暖まらない。

どちらも必要なのだ。

薪割りには経験が必要だ。

木目を見ることだ。



私は、63歳から医者に行っていない。

血圧の高い私は、40代から降下剤を飲むように言われているが、飲むと無気力になるので、やめた。

私自身、無気力な状態で生きていてもつまらないからだ。

まわりの者も家族も気にしているが、私は平気だ。

友人で、10種類の薬を服用している者がいる。

自分でも、どれを飲んだか分からなくなるらしい。

その友人は、飲まなかったら不安だと言う。

私はその逆で、飲む方が怖い。

人間には寿命があって、そこまで生きることになっていると思っている。

いつか頭が呆けて、飲まなかったり飲み過ぎたりするのだろう。

私の体は重労働するように出来ていて、汗をかくような仕事をするほど好調になる。

若い頃、親しい友人が私に言った。

「お前は、売春婦だよ」

「えっ、何故だ」

「若い頃は稼げるよ。年取ったら体がガタガタになって、何も出来ないだろう」

若い頃、なるほどそうかもしれないと思っていた。

その彼は、今癌で苦しんでいて、金はあっても健康ではない。

私は、貧しくても健康がある。

彼は、健康を金で買えるなら、買いたいと言った。

私は売らない。

だが、彼が少しでも長く生きる事を願っている。

                 2011年 秋