ジムは、現代人のジェーンと別れて、過去の女性と再婚したのだ。
2人の妻は、私の目からも両極端である。
私はジェーンを知ってたので、最初の頃、カーラは若いというだけでどこが良いのかと思っていたが、思い違いだった。
カーラの生活を見ていると懐かしさを覚え、祖母の年代の人たちを思い出す。
洗濯も、洗濯板を使って外で洗っているのを見ると、まさに時代に合っていない。
洗濯機もあるのに、ジムがいる時にしか使わない。
モーターが止まらなくなったらどうしよう?と心配だったり、水が勝手に出るのが不安らしい。
水仕事をするので、手が腫れてアカギレができている。水仕事が終わると、そこに豚の油、ラードをすり込んでいた。
そういうものまで自分で準備出来るカーラを、私は見直している。
時代遅れだと思うのは間違いなのだ。
親から教えられたことを守って継承することを、現代っ子には出来ない。
仕事仲間には笑う者もいるが、私は笑わない。
それより我々は進んだ文化の中で、捨てたり忘れていたことを、カーラは思い起こさせてくれる。
私はジムを手伝ったことが、味のある時間になった。
アメリカの人間関係でも、無料奉仕をすれば人間関係は深くなる。
私は屋根の最後のトタンを打ち込んだ時、その上に寝そべった。
そして、長い長い時間と完成した満足感に浸って秋の紅葉を見ながら、その後ろにはウィストンセーラムの街と、遥か遠くにアパラチアの山々が煙るように延々と続いていた。
降りていくと、ジムが嬉しそうににっこりと笑って手を差し出した。
私もガッチリと握り返すと、「痛っ」と言って手を引っ込めた。
何千ものブロックを持ち上げた右手には、肩から指先まで力がみなぎっていた。
その日は土曜日で、帰りにカーラがどっさりスージーの肉と、ハーモンのカントリーハム、ソーセージを箱に詰めてくれた。
「これ、あたしからのお礼さ。ジムは牛一頭どれでも好きな牛をあげるって言ってるけど、これから先に食べて」カーラは愛想のない女性だが、喜んでくれていたのがわかると、新たに完成された満足感が湧き上がってきた。
ボランティアの仕事でも、それで相手が迷惑していることもある。
カーラも私の食事の用意を、どれほどさせられたかわからない。
完成祝いと牛の移動もあるので、翌週の週末にジムの山の牧場で、私の家族とジムの家族でピクニックをした。
ジムの山の牧場は、標高が1,300メートル位あって、夏は涼しいが冬が来るのも早い。
紅葉は終わって肌寒いくらいだったが、広大な牧場が延々と続き、その中にいる200頭の牛はチラホラとしか見えない。
垣根の外側に、牧場から出た石が積み上げてあって、そのくぼみのある石には、びっしりと苔やシダが育っている。
そこが石楠花と蓮華ツツジの繁みになっていて、5月の花の季節は見事だ。
谷川の流れには、ニジマスも育っている。
ジムは、花にもニジマスにも興味がなく、自分では楽しまない。
農場は、公園のように美しい。牧場は垣根と牧草だけだが、山の牧場は白樺林や石楠花の垣根、積み上げられた歴史のある石などが山ほどある。
ジムは、その石や石楠花などを全て私にくれたのだ。
私がその石で日本庭園を造ると、仕事を終えた時に数年の歴史を庭に見ることができる。
石のお陰だ。
その膨大な石は、私の生涯でその全てを使えるものではないが、もらったとなると何となく心が豊かになる。
それよりも週末そこでキャンプをしたり、釣りを楽しめる。
家内は全く興味がないのだが、私は1人でその晩、広大な牧場の奥の谷川の流れの近くで泊まった。
テントを持ってきたが、家内が子どもたちを連れて帰ったので、張らずに焚き火をして、その横で星空を見ながら寝るつもりだ。
山の夕映えが空を染める頃、ジムが来た。
「奥さんたちは?」
「あいつは熊が怖くて、子どもを連れて帰ったよ」
「そうだったの。せっかく肉を持って来たのに」
「ありがとう。俺が食べるさ」
「キャビンに泊まったら?夜は寒いよ」
「慣れてるからここでいいよ。星を見て寝るさ」
「霧になったら、星なんか見えないよ。それに星がどうってことないだろう」
ジムは帰って行った。
野宿は20年振りだろうか。 
冷え冷えとした山の空気が澄んでいて、夜が暮れるとともに星が数を増し、身近に見えるような気がする。
谷川の石で炉を造り、その中で勢いよく火が燃える。肉は牛の太ももだった。
こういう肉は、時間をかけてゆっくり焼くと旨い。
初めは強火で焦げるまで焼き、肉汁が外に流れないようにして、後は炭火で一晩かけて焼く。 
別に肉用の炉を造って焚き火の炭を移し、様子を見ながら焼いた。
燃える炎、辺りの闇、川のせせらぎを聞き、ハモニカを吹く。
曲は、山小屋の灯り、峠の我が家、ふるさと、椰子の実。
静かな夜の牧場にハモニカの淋しい響きが、若い頃を思い起こさせる。 
蚊はいない。
ジムの所有地だから誰も来ない。
来るとしたら、鹿かあらいぐま、ポッサムか熊ぐらいだろうか。
その夜は、私も動物たちと美しい自然を共有していた。一人旅、一人の山登り、キャンプの好きな私だが、山の空気の中で星を見ながら眠るのは、久々だった。
炎と煙の臭い、星空と山の空気で、心は満ち足りていた。
自然の感触は、日本もアメリカも変わらない。
そこに住んでいる人が違うだけだ。
今は恵まれている。
雨になれば、トラックに逃げ込める。
残念なことに、夜半から霧になった。
霧というより霧雨で、肌に付いた霧が汗のように顔を流れ落ちる。
火を勢いよく燃やした。
数メートル先の白いトラックも霧に包まれて見えない。
火の周りだけ霧が通り抜けていくようだ。
トラックの荷台のキャンバスを頭から覆い、火を見ながら肉を焼いた。
切り取って食べてみたが、まだ外側だけで中まで熱が通っていない。
霧が私から星空を奪ったので、ひたすら肉を焼いた。うつらうつらしながら、火が弱まると燃え立たせる。
私の睡眠は短いが、爆睡する。 
寒くなって目が覚めると、火が消えかけている。
薪を加えて燃え上がらせて、明るくなって初めて気付いた。
肉がなくなっている。
すぐ目の前にあった肉がない。吊るしていた棒もない。慌てて懐中電灯で周りを捜したが、あとかたもなかった。
寝ているとはいえ、鬼のような私の目から肉を盗んだのだから、したたかな動物の仕業だろう。
寝入りばなに来たのだろう。
物音がしても気付かなかった。
ジムにも申し訳ない。
やるせない気持ちだ。
時間は、4時15分前だった。
2時間半くらい眠っていた。  
夜明けとともに周りを捜したが、霧だけが残っていた。
河原の岸の砂の上に、いくつかの犬の足跡が残されていた。
一度も吠える声を聞いていない。
ジムがやって来た頃には、後始末も済んで、帰り支度をしていた。
「どうだった、眠れた?」
「寝込んでしまって、肉を盗まれたよ、目の前から。犬らしいんだけど、足跡を見ると」
「コヨーテだよ、コヨーテ。仔牛がやられるんだ。賢くてね。姿見せないんだよ」
犬と思った足跡は、コヨーテだったのだ。
寝不足の頭だったが、山の空気は爽快だ。
道に敷き詰められた紅葉をめくりあげながら、トラックは坂を下った。バックミラーに紅葉が舞う。
肉は盗られたが、久々の野宿は味わいがあった。